な顔をして言うた。これは翁が自ら手を入れたものに相違ない。僕はそれを知りたかつたのだ。
 翁の物語で、いろ/\の事情が明白になつた。翁は先づ直訴状依頼の当夜の事から語つた。翁が鉱毒地の惨状、その由来、解決の要求希望、すべて熱心に物語るのを、幸徳は片手を懐中にし、片手に火箸で火鉢の灰を弄ぶりながら、折々フウン/\と鼻で返事するばかり、如何にも気の無ささうな態度で聞いて居る。翁は甚だ不安に感じたさうだ。自分の言ふことが、この人の頭に入つたかどうか、頗る不安に感じたさうだ。偖て翌朝幸徳から書面を受取る、直ぐに車で日比谷へ行つた。時が早いので、衆議院議長の官舎へ入つた。この日は開院式の為めに、議長官舎は無人で閑寂だ。翁は応接室の扉を閉ぢて、始めて懐中から書面を取出して読んで見た。前夜自分の言うた意思が、良い文章になつて悉く書いてある。
『良い頭だ』
と言うて、翁は往事を回顧して、深く感歎した。
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「伏て惟るに、政府当局をして能く其責を竭さしめ、以て陛下の赤子をして日月の恩に光被せしむるの途他なし。渡良瀬河の水源を清むる其一なり。河身を修築して其の天然の旧に復する其二なり。
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