経て幸徳も既に世に居なくなつた後、或時、僕は始めて翁に「直訴状」の事を問うて見た。それは、幸徳の筆として世上に流布された直訴状の文章が、大分壊はれて居て、幸徳が頗る気にして居たことを思ひ出したからだ。例へば、鉱毒被害の惨状を説明した幸徳の原文には
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「――魚族弊死し、田園荒廃し、数十万の人民、産を失ひ業に離れ、飢て食なく病で薬なく、老幼は溝壑に転じ、壮者は去て他国に流離せり。如此にして二十年前の肥田沃土は、今や化して黄茅白葦満目惨憺の荒野となれり」
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如何にも幸徳の筆で、立派な文章だ。ところが世上に流布されて居るものは、
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「魚族弊死し田園荒廃し、数十万の人民の中、産を失へるあり、営養を失へるあり、或は業に離れ、飢て食なく病で薬なきあり――今や化して黄茅白葦満目惨憺の荒野となれるあり」
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かうなつて居る。
あの当日、毎日新聞社のヴエランダで、三人で語つた時にも、幸徳は通信社の印刷物を手にしながら、『黄茅白葦満目惨憺の荒野となれるあり、では、君、文章にならぬぢやないか』と、如何にもナサケなげ
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