。初めの十年は、明治十七年に、県令三島通庸の暴政に対して、これが糾弾の為めに死地を往来し、後の十年は、帝国議会の開会と共に、鉱毒問題を高唱して一日の閑天地に憇ふことも出来なかつた。何事ぞ、今国家刑罰権の恩恵の為めに、四十日と云ふ豊かな安息時を監獄の一室に与へられ、青年基督の生涯に照して静かに我が六十年の苦難の瘡痕を点検し、更に我が真使命の何処に存在するかを黙想することが出来た。
 出獄後の翁は「陸海軍の全廃」を唱へた。また聖人の出現を夢想した。これは爾後常に翁の胸に燃えて居たことで、日記を見ると、折々思ひ出したやうに書きつけてある。明治四十四年の日記中にもかう書いてある。
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「我れ、去る三十七年の春、神田の青年会館にて、新学生歓迎の演説に曰く、東洋に聖人が生まれ現はるゝ也。但し其の以前に一度日本は亡ぶ。其時までは、個々専門に励みて其道の聖となるべし。翌日一学生来り問ふ、何の証拠ありて昨夜の如き事を述べしやと。予答、只だ我心に思ふのみと。」
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 此頃の詠歌一二。
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雨風のために変らで雨風と共にはたらけ
我は雨風
我国をは
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