て錙銖を計らんとするは何ぞやと。然れ共いつかな聴入れず。日課を左の如く定めたり。
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一、朝飯前必ず草一荷を刈る事。
一、朝飯後には藍ねせ小屋に入り、凡二時間商用に従ふ事。
一、右終りて寺入りせる小児等に手習を授くる事。
一、夕飯後また藍ねせ小屋を見廻り、夜に入りて、寺院に会して朋友と漢籍の温習をなす事。
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藍玉の原料仕入は、毎年残暑の頃にして、前後三十日許は日夜非常の運動なり。一日近村に原料を集む。炎熱焼くが如くにして、沿道たま/\瓜を鬻ぐ。予乃ち食はんと欲して其価を問へば、曰く五十文なりと。(当時米価の廉なるに反して、瓜西瓜などは非常に高し)予や此日未だ一銭をも儲けざる為に、五十文の銭を惜むこと甚しく、遂に買はずして去れり。思ふに是れ父が所謂商人根性に陥れるものならん。然れども此の如くにして拮据経営、三年にして三百両を儲け得たり。」
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世間では、翁の鉱毒運動を佐倉宗吾と並べて語るものがあるが、宗吾の農民運動と並称すべき翁の行動は、既に二十歳の名主時代に一度やつて居る。六角越前守と云ふ幕府の高家が、野州の幾個村を領して居て、翁もこの六角家領内の名主であつた。この六角家の弊政を改革して、農民の痛苦を救ふと云ふ相談が領内有志の間に盛になり、当時若年の翁はその総代となつて奔走した。この運動だけでも、実に無尽の興味ある物語になるのだが、一切略して、こゝにはその最後の牢獄生活の一節を自叙伝中から抜いて君の一読を煩はす。
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「予が封鎖されたる牢獄と云ふは、其広さ僅に三尺立方にして床に穴を穿つて大小便を兼ねしめるが如き、其の窮屈さ能く言語の尽くし得る所にあらず。若し体の伸びを取らんとする時は、先づ両手を床に突き、臀を立てゝ、虎の怒るが如き状をなさざるべからず。また足の伸びを取らんとする時は、先づ仰向きに倒れ、足を天井に反らして、恰も獅子の狂ふが如き状をなさゞるべからず。去りながら入牢中の困難は啻に此に止まらず。予が如き入獄者の容易に毒殺せらるゝ例は、其当時珍らしからぬ事――予は実に大事を抱ける身なり。若し毒手にかゝりて空しく斃るゝ事あらんには、予は死して瞑する能はざるなり。一念こゝに至りて煩悶やる方なく、断じて獄食をなさじとの決心を起し、庄左衛門と云へる同志が二本の鰹節を杖とも柱とも頼みて、生命を一縷の間に繋ぐこと三十日に及びぬ。」
「在獄すでに十個月と二十日。第四回の訟廷は開かれて、左の如き判決を受けぬ。即ち予は、
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『領分を騒がし、身分柄にも有るまじき容易ならざる企を起し、僣越の建白をなせしは、不届の至なるに依り、厳重に仕置申付くべきの処、格別の御慈悲を以て、一家残らず領分永の追放を申付くるもの也。』
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と申渡を受け――此に於て一件全く落着を告げたるが、此事件の起りてより前後五年の久しきに亙り、村々名主等苟も此事件に関係あるもの、其間の運動費に巨額の金銭を投じたれば、落着後或は田畑を売り或は家屋敷を売り、妻子眷属また為めに離散するの惨状を見るに至れり。」
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翁が六角の獄舎を出て見れば、世は既に明治二年と云ふ新時代になつて居た。二十九歳。領内追放の判決に従て、一細流を距てた隣村、井伊掃部頭の飛び領地堀米村の地蔵堂に閑居して、暫くは村の小児等に手習算術など教へて居たが、勉学の雄志に駆られて東京へ出た。それから妙な因縁で、翌三年に一小吏となつて奥羽の山奥花輪と云ふ所へ赴任したが、こゝで図らず同僚殺人の嫌疑を受けて、四ヶ年に亙る惨酷な牢獄生活を嘗めた。
君よ。たとひ明治時代とはいへ、法律は尚ほ拷問取調の時代であつたことを念頭に置いて呉れ。翁の自筆の文章から、当時拷問の実状を話して見たい。
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「――予は再び口を開き、弾正台は今尚ほ隣県山形にあり。(当時弾正台と云ふ巡廻裁判があつたのだ)今一たび此の審問を受けたし、何卒片時も早く御計らひ下されたしと願ひたるに、聴訟吏は何思ひけん。忽ち赫と怒り、せき込み、直に拷問に掛けたり。疑の点を糺すにはあらで、無法にも拷問の器械をば用ひたり。其は算盤責めと云うて、木を以て製し、仰向に歯を並べたる上に、膝をまくりて坐せしめ、膝の上に重量五貫目の角石を三つ積み重ね、側より獄吏手を以て之を揺り動かす。脛はミリミリ破る。予は大喝『何故拷尋の必要ある』と。石は取り除けられぬ。痛みは反動して、脛を持ち去らるゝが如し。漸く獄吏に引立てられて獄に帰り、案外なる無法の処置に呆れたり。」
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始め、花輪支庁から足にはカセを打たれ、高手小手に縛められ、五十里の山路を四日、牢籠に封じ
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