下げ]
「拝啓、いつも同じよふな、唐人の寝言のよふな文句、もふ呆れられる頃。西田法師は今何処に納涼して居らるるか。法師の納涼はヤヽ大なり。人は出るに車馬ありを、此人のは出れば必ず風あり。至る処風なきなし。至る処月なきなし。花なきなし。雲なきなし。天地山川皆我ものなり。世人の憐れなる、此大いなるを見すてゝ跼蹐たる小天地に身を投じ、苟も金を懐中せざれば、山に海に林に遊びにも行くの勇気なく、殆ど疲れたる老人の如し。苟も食なければ一日だも安んぜず。此人々の海辺へ山林に行かんか。先づ弁当と金とに腹一杯なるを以て、清涼の空気といへども容るゝの余地なきまでに奢りふけりては、又新鮮空気の必用なし。かの農民の田の面に腰休め、烟草一プク、天地と共に立ちて自由の呼吸をなす。これ誠に納涼のヤヽ大なるものなり。然れども習慣は、富より出でざれば楽みとせず。所有権より来る困難厄介の問題、いかに神聖の教ありとも、馬耳東風。狭き納涼に多大の金銭を失ふて得々たり」。
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此頃毎日の雨。先づ東海道筋の大出水大破壊。次で利根川大氾濫と云ふ新聞。逆流の波に打たれる谷中の惨状が目の前に浮ぶ。予は翁の多忙を
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