る。深玄な哲理が極めて平易な文字を以てスラ/\と自在に書き流してある。
『如何して書く気におなりでした』。
と聞いて見たが、
『何だか切りに死ぬような気がするので、只だ浮ぶまゝを書いて見たのです。お目になど掛ける品でごわせん』。
 斯う言つて、恰も小供の羞かむだ時のように、首を低《た》れて笑はれた。

       七

 今年七月の三日、即ち予が円覚寺へ行つた前日、谷中村破壊の三周年紀念会を開くと云ふ通知があつたので、小雨の中を行つて見た。三年前には未だ小供のようであつたものが、既に立派な青年になつて盛に周旋して居た。予は翁からの注文で、隣家《となり》の着古るしの芝簑を一領携へて行つた。翁は直ぐと着て見て大喜び。

       八

 翁はよく手紙を書く。同じ日付の手紙が二本も三本も来ることがある。若し一週間も音信《たより》が無いと、何か変事でも出来たのでは無いかと心配になる。是れは八月三日の端書で、特に「土用見舞状」と書き、尚ほ「今日の所では埼玉二ヶ村本年大豊年巡視中、谷中植付無し」と表書《おもて》の宛名の下に書き足してある。翁の手紙は毎々此の流儀の規則破りだ。
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