訴の翌々年の秋の初と記憶して居る。是れまで長年鉱毒問題に同情を寄せて呉れた人達を神田の青年会館に招いて訣別演説をされたことがある。無論|訣別《おわかれ》など云ふ意味を出して招かれたので無いが、後に至て其意志を読むことが出来た。政治家、僧侶、新聞記者、種々《いろいろ》な顔が集つた。予も後ろの方に腰掛けて居た。やがて翁は椅子を離れて一同の前に例の丁重な辞儀をされた。其時の翁は相変らず黒木綿の単衣《ひとえ》に毛繻子の袴。羽織は無かつた。偖《さ》て顔を上げて口を切らふとすると、言葉が出ない。頭を振つて偖て又た口を切らふとするが、矢張どうしても言葉が出ない。来賓等も不審に思つて見て居ると、翁の両眼から、忽ち熱涙が堤を切つて溢れ落ちた。其れを大きな拳で横なぐりに払ふ。満坐霊気に打れて、皆な頭を垂れた。翁は立つたまゝ、後ろ向きになつて暫く泣いて居られたが、やがて扉《ドア》を開けて顔洗いに出て行かれた。
此の日の演説は長かつたが、一言一語、沸る血液の響であつた。
『是れだけのことを皆様に御訴へ申した上は、田中正造、今晩死にましても、少しも思ひ残すことは御坐りません』。
是れが最後の一句。
何でも
前へ
次へ
全18ページ中13ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
木下 尚江 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング