出たです。水が出ると云ふことは、百姓は驚きません。却て山から結構な肥料を持つて来て呉れますので、水の翌年は豊年だと云ふて喜んだものです。所が今は一升の雨を三升にして押し流すから堪りませんよ』。
「一升の雨を三升にして流す」、翁の説明は常に此の禅僧式なので、血の運りの悪い識者は、先づ貶《け》なして仕舞つて聴かうとしない。
『先づ山林濫伐で水源が赤裸々《あかはだか》になる。そこで以前は二日に流れた雨量を一日に流して二倍にする。其れを又た下流に色々な障礙物を築造して、無理に水を湛へて逆流させて三倍にして仕舞ふ。是れだから昔も今も同じ雨量《あめ》で、洪水《みず》は三倍の害をする』。
 如何にも其の通りだ。

       十

 午後、枕を出して置くと、翁は何時か横になつて、大鼾をかいて、楽々と熟睡《ねむ》つて仕舞はれた。山の転んだような寝姿。ホノ/″\と紅味を含んだ厚肉の頬のあたりを熟々《つらつら》ながめて、予は又た十年の昔、新聞社の二階で始めて見た時を思ひ浮べた。彼の頃の翁の容貌《かお》には「疲労」の二字を隠くすことが出来なかつた。直訴の前後が、或は翁の疲労の頂点であつたかも知れぬ。
 直
前へ 次へ
全18ページ中12ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
木下 尚江 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング