れ然しながら、藩閥政府打破の旧観念に属す。田中正造が投げた鉱毒問題には、金権政治の弾劾と云ふ未来の時代を孕《はら》んで居た。
十二月廿四日の予算会議、農商務省費目の議事に於て田中代議士は始めて農商務大臣陸奥宗光と顔を合はせた。君は外務大臣の陸奥の名を聞いて居るだらう。此時陸奥は農商務大臣であつた。気の毒なことには、陸奥の次男が古河の養子だ。
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田中代議士の質問演説
『農商務省へは先日質問書を出して置きましたが、七日になりましても未だ御答弁が無い。今日此項の費目にかゝらぬ前に御答弁があるだらうと信じて居りましたが、何か御差支があるものと見えて御答弁がありませぬ。議院法には、直に答弁するか、出来なければ出来ない理由を明示すと云ふことがある。七日経て答弁が出来なければ出来ないと云ふことを、本費目に掛る前に、大臣御出席であるから、一応申されて然るべしと思ふ。出来なければ出来ないで宜しい』
陸奥農商務大臣の答弁
『唯今田中君の御質問がございましたが、その御質問の初めに予《かね》て質問書を出して居る、何故に返答が遅いかといふ御催促でありました。その返答は何時でもするつもりで、
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