一、十二月二十七日、都下学生の鉱毒地視察。学校の種別で言ふと、帝国大学、学習院、各私立大学、仏教基督教の各学校。
一、翌二十八日、青年会館に学生視察の報告会。
一、翌年元日から学生の路傍演説。
一、一月七日、帝国大学生発起の鉱毒地視察。
一、その前夜、文部大臣菊池大麓は大学総長山川健次郎を招きて、大学生の鉱毒地視察禁止。
一、潮田会長が東海道を経て、京都大阪まで演説旅行。特に大阪中の島の集会の如きは、聴衆感激、狂するが如し。
一、九州より、奥羽より、青年婦人等、鉱毒地視察。
一、鉱山主古河市兵衛の老夫人、神田川に水死。
[#ここで字下げ終わり]
 この時も渋沢栄一は人を介して先生に鉱毒運動の中止を勧告した。

 (二) 星亨と先生
 三十一年六月、進歩党自由党合同して憲政党内閣成立するや、陸奥外相の下に公使として米国に在勤して居た星亨急遽帰朝して、入閣を迫つた。当時の策士犬養木堂は、星を入れゝば必ず内部から破裂があるので、これを峻拒した。星は入閣の駄目なことを見るや、「尾崎文相の共和演説」など誇張して、到頭外部からの破壊を成就し自由党の実権者となつた。
 三十二年、東京市会議員の改選
前へ 次へ
全38ページ中30ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
木下 尚江 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング