のに一つ精気を吹き込んで、社会の活力にしたいと云ふ希望を抱いて居たので
『婦人矯風会が宜しいでせう』
と提言した。
 かくてその月十六日、矯風会の矢嶋楫子、潮田千勢子両老婦人を始め四五の人々の鉱毒地視察が行はれ、潮田夫人を会長として鉱毒地婦人救済会と云ふものが出来た。矢嶋夫人は大きい所のあつた人で、この人の名は世に伝へられて居る。潮田と云ふ婦人は仕事の出来た人で、この救済会の金品募集から分配、病人の治療等一切が、この婦人の頭と手とで計画され実行された。
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一、十一月二十九日夜、救済会第一回演説会を神田美土代町の青年会館に開く。聴衆満堂、霊火に打たる。
一、第二回、本郷春木町中央会堂に開会。
一、十二月十日、田中翁直訴。
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「田中の鉱毒か」と、半ば嘲笑と共にひやかして居た足尾鉱毒問題が、全く清鮮な光輝となつて、新たに社会の心情を照した。
 婦人救済会から一つのものが生まれた。或日の会合で、今の青年学生に、鉱毒地を見せることが、実地の学問になるのではないかと言ふ話が出た。その結果、
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