かんことを勧むるあり。然れ共予の本党に対する関係極めて旧く、明治十五年改進党組織の初より諸氏の後に随つて鞅掌し、其の一変して進歩党となり、再変して憲政党となりまた憲政本党となるの今日に至る迄、先輩の訓を奉じ、同列と喜憂を共にし、諸氏と進退を同じくし、自ら紹介せし議員も亦少しとせず。予の頑硬を以て屡々諸氏に逆ひしと雖も、諸氏能く包容して予と絶つに至らず。其の友義交情久しく且つ深きこと此の如し。仮令小事の意見牴牾するも、豈俄に党外に退くこと、其の経歴を異にする田口卯吉の如くするを得んや。而して今や財政問題に於て党議と相反するものあり、遂に已むを得ずして党籍を脱す。豈今昔の感慨無からんや。」
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然れどもこれは単に形式上の問題で、例の六派が解体して進歩党の出来た時が即ち先生が政党を脱退した時である。
変形切支丹禁制思想との抗争
今この「政友諸君に告ぐ」の一文を見ると、十二月二十三日、新聞紙上に発表されて居る。すると、僕が番町邸へ始めて参上して、毎日新聞入社の承諾を得たのは、その前日二十二日であつたのだ。重荷を下ろしたと言つた態度で快談された先生の第一印象が、
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