かが解る。またそれを即座に理智的に裁断して、寸毫の躊躇も無い所に島田三郎と云ふ人の性格が見える。

  政党への訣別

 これ以後の政治界は、「条約励行」を楔子にして、離合集散が行はれた。一方伊藤内閣と自由党と提携し、これに対して条約励行の六派(この中には先生等の改進党も、非内地雑居の大日本協会もある)が提携した。
 二十七八年、日清戦争。
 二十九年三月、条約励行六派は解体合体合同して進歩党を組織し、大隈伯がその実際的党首となつた。
 その九月、伊藤内閣辞職の後を受けて、松方正義を総理大臣に、大隈重信を外務大臣に、所謂薩摩閥と進歩党との聯合内閣が出来た。両者の裏には三菱が居て岩崎弥之助が自ら出でて日本銀行総裁になつた。薩派政治家の暴政と、進歩党員の猟官運動との為に、この内閣は極めて醜悪な最後を遂げたが、三十年十一月七日進歩党代議士会で政府との提携問題に関する最後の相談の席上、先生はかう云ふて居る。これは当日の演説を文章に書き替へて毎日新聞に発表されたものだ。
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「今日は政府と提携を絶つや否やが問題となり居れり。予は昨年総務委員諸君が提携を首唱せし当時より、提携其
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