転《うた》た虔敬《けんけい》の念に堪へざるなり。此語を伝へて政府と国民とに通達するは則ち、吾人の責任なり。
政府に警告す
足尾鉱毒事件が始めて衆議院の議場に披露せられたるは明治二十四年に在り。爾来十星霜、而して彼等被害民の意思と行為とは転一転毎に其度を高かめて、今は鉱業停止の一天張りとはなれり。世人の被害民に同情を寄する者決して尠なしとせず。而して彼等の同情も「鉱業停止」の叫声に接して躊躇逡巡するが如し。余は今ま鉱業停止問題の是非を論ずるに非ず。然れ共彼等も最初より鉱業停止を号叫したるに非ず。而して彼等をして、此の最後の声を発せざるべからざらしめたるに就ては、政府また其責任の半分を負担せざるべからず。看よ、政府は最初鉱毒有無の証迹明了ならずとの故を以て、之を避けたり。専門家の試験を経て、鉱毒の事明かなるに及びて、政府は其の害毒の程度に疑点を置きて、之を避けたり。而して此の間政府は陰然、鉱業家と被害民との中に立ちて私的示談に一任し、自ら其責任を避けんと欲したりき。若し被害地人民の一揆的運動と、田中正造氏の熱心となかりしならんには、三十年憲政党内閣の除害工事命令と被害地免租の処分
前へ
次へ
全13ページ中8ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
木下 尚江 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング