、高所から自由に所信を吐く――僕は始めて、ひそかに弁護士の壮美を感じた。
 裁判が確定して、三十八年の春の初、幸徳は市ヶ谷の監獄へ行つた。その朝、平民社へ行くと、丁度幸徳が書物を山のやうに風呂敷に包んで居た。見ると旧新約聖書を一冊、手にして居る。
『それを、どうするのだ』
と、僕は不思議に思うて、問うて見た。
『これか――』
といつて、幸徳は気の毒さうに躊躇したが、
『牢屋で一つ、ヤソの穴探しをするんだ』
 かういつて、笑つた。
 病身の彼は病監に粥をすゝつて、心静かに読書と思索に耽ることが出来た。半歳の監獄生活、夏の暑い最中に帰つて来た幸徳は、最早入獄前の彼では無かつた。マルクスの共産党宣言で入獄した彼は、クロポトキンの無政府主義者として帰つて来た。彼はクロポトキンの事を「先生」と呼んで居た。
 日露戦争は終りを告げて、媾和談判中、幸徳は方向転換の準備として、一年ばかり外国で静養するはずであつた。平民社は幸徳の出獄を待つて解散した。
 十一月、幸徳は愈々米国へ行くことになつた。それについて、彼は一方ならずお母さんの身の上を心配した。
 幸徳のお母さんは、僕の母より二つ三つ年下らしく見
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