えた。小造りな、引締つた無病さうな体格の人で、言葉の少ない、気象の勝れた、エライ婦人であつた。幸徳は生れて間もなく父に死に別れたので、お母さんの手一つに育てられたといふことだ。お母さんは到頭故郷の土佐へ帰つて行かれた。
 明日出発といふ日、角筈の幸徳の家へ行つて見ると、来客の絶え間が無い。幸徳は僕を引つ張つて櫟林へ行つた。切り株に腰をおろして、誰に遠慮もなく腹蔵なく語り合つた。
 アヽ、何といふ距離ぞ。
 一つの言葉が二人の間に置かれてある。「権力否定」といふ一つの言葉が、二人の間に置かれてある。幸徳は無政府主義の理論で説く。僕は神の愛でいふ。やがて話が互の一身の上に落ちた。僕はいうた。
『かうした道を行く身に取つて、年取つた母を連れて居るといふことは、如何にも心苦しい』
『うム――』
と幸徳も軽くうなづいたが、暫くして顔をあげ、
『しかし、君。母でも無かつたら、何をする気も出なからう』
 かういつて、風の寒い武蔵野の暮れ行く空を、茫然とながめて居た。翌日、多勢の友人同志に見送られて、横浜を立つた。

      七

 戦争後の戒厳令時代。
 よく「家宅捜索」が来た。
 予審判事が警
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