官を指揮して、母の病室へまで踏み込み、枕元なる箪笥の中、棚の隅々、無遠慮に取り乱して物を探す――母は白髪頭を枕につけたまゝ、目を閉ぢて、眉一つ動かさない。捜索隊が去つてしまつても、何一つ口にしない。まるで、何事があつたかも知らぬやうな顔をして居て呉れた。
平民社解散の後、僕は石川三四郎君を勧めて「新紀元社」を樹《た》てた。キリスト教社会主義とでも、いへばいへよう。徳富蘆花君を引つ張りだした。安部君も助けてくれた。田添鉄二君といふ青年哲人が助けてくれた。月刊雑誌の外に、日曜日の講演会を開いた。
三十九年の五月六日、これは日曜日であつた。母の脈搏が変つたから外出を見合はすやうにといふ妻の注意に、午後の講演会を断つて、母の側について居た。枕頭には妻が居る。裾の方には、医者が居て呉れた。日が障子に当つて、明るい静かな真昼時、母は眠つたやうに六十八年の呼吸を引き取つた。
僕の十九の学生時代に、父は死んだ。父の目には、こんな子にさへ一縷の希望を繋いで死んで行つてくれた。けれど母には、一日の喜びも与へず、苦労に苦労の一生を終らせてしまつた。
母の跡片づけも済んで、さてこれから新鋭の気を以て、
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