改めて仕事にかゝるのだと思つた時、どこからとも知らず、一つの声が響いた。
『誰のために――』
驚いて目を開くと、まるで夢のさめたやう。
涙が身の底から、滝のやうにわいて、止め度が無い。
連日引籠つて思案に暮れた末、思ひ切つて新紀元社へ行つて石川君に話した。
『僕は、もう駄目になつた』
『然うか』
というて、年少の石川君は、さま/″\慰めてくれた。
差当り北海道の遊説を中止せねばならぬ。
僕は夏季の遊説をやつて居た。一昨年は上州から信州へ行き、昨年は奥羽へ行き、今年はいさゝか大規模に北海道を廻る予定で、現に石川君の机の上には、同志達から打合せの手紙が、幾通も来て居る。
一切「謝罪」――
幸徳は予定より早く帰つて来た。四谷の小泉三申君の宅へ、彼を尋ねて行つて見ると、持つて来たのであらう、バクニンの大きな額面が、玄関の壁に立てかけてあつた。彼は、旧同志を糾合して新運動に着手する心算で、日刊新聞発刊の計画さへも進んで居た。
僕は世上一切の関係から離れ、孤独の身となつて山へ行つた。
八
早くも二三星霜。
「赤旗事件」で、堺君等が千葉の監獄へ送られたと聞くや、土佐
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