に静養して居た幸徳は上京した。その頃、僕の三河島の草屋を、平民社時代の人達が尋ねて来て切りに幸徳を攻撃して聞かす。彼が千代子夫人を離別して、新しい婦人と同棲して居るといふのだ。それで僕に忠告の役を勤めよといふのだ。僕は黙つて居た。
或日、名古屋のお千代さんの姉さんが見えて、一通の手紙を僕の前へ置いた。幸徳からお千代さんへの郵書で、文句は長いが、要するに「自分は菅野といふ婦人と恋愛に落ちたから、今後御身とは兄妹の関係に過ぎない」といふ宣言だ。
『妹は、泣いてばかり居ります――』
というて、姉さんも目を押へて居る。僕は密に幸徳の苦悩を想うた。捜し/\して幸徳の浪宅を尋ねて見ると、私服の警官が二名、門前に張り番して、訪問客を一々厳重に調べて居た。
丁度婦人は外出中で、幸徳が一人で居た。彼は詳細に顛末を語つた。僕は目を閉ぢて聞いて居た。語り終つた彼は、一段と声を改めた。
『然し君。僕の死に水を取つて呉れるものは、お千代だよ』
この一言に、僕は胸がカラリと晴れた。直ぐに話題を転じて、何もかも忘れて久し振りで談笑の世界に戯れた。
『またくるよ』
というて、スイと立つと、畳の上に寝そべつたまゝ
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