社の方面へは、蛇蝎のやうに響いて居た。
 この埼玉における公娼反対の成功が、やがて東京における廃娼運動の勃興を促し、更に多方面へ大小幾多の波瀾を及ぼし、その結果、内務省が急に省令を出して「娼妓の自由廃業権」を承認せねばならぬことになつた。

        四

 新聞社へ幸徳が尋ねて来た。僕の顔を見るといきなり、
『おい、社会党をやらう』
『ウム、やらう』
 かういつて、立つたまゝ、瞬きもせずに見合つて居たが、やがてニツコと笑つて、直ぐに彼は帰つて行つた。
 日を経た後『創立委員会を開くから、呉服橋外の鉄工組合事務所へ来て呉れ』
と、幸徳から知らせて来た。
 どんな顔が寄るかと思ひながら行つて見た。安部君が来て居る。片山君が来てゐる。西川光二郎君といふ「労働世界」の年少記者を、片山が連れて来て居る。「万朝報」の河上清君といふが来て居る。それに幸徳と僕、都合六人だ。
 当時の事だから、お手本は自然ドイツだ。名称は「社会民主党」少し明細な「宣言書」をだす事。宣言書は、幸徳の文章でやるべき所だが、幸徳は辞退して先輩に譲つた。衆望で、安部君が筆をとることになつた。費用は、差当り五円持ち寄りの
前へ 次へ
全16ページ中5ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
木下 尚江 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング