》と共に疳癪《かんしやく》の虫グツと呑《の》み込みつ「ぢやア、松島を亭主にすることが忌《いや》だと云ふのか」
「忌《いや》なら忌で其れも可《よう》御座んすサ、只だ其の言《いひ》ツ振《ぷり》が癪《しやく》に障《さは》りまさアネ、――ヘン、軍人は私《わたし》は嫌《いや》です、軍人を愛するつてことは私の心が許しませぬから――チヤンチヤラ可笑《をかし》くて」言ひつゝ剛造を横目に睨《にら》みつ「是れと云ふも皆《みん》な我夫《あなた》が、実母《おや》の無い児/\つて甘やかしてヤレ松島さんは少し年を取り過ぎてるの、後妻《のちぞひ》では可哀さうだのツて、二の足踏むからでさアネ、其れ程死んだ奥様《おくさん》に未練が残つて居るんですか」
「何を言ふんだ」と剛造は小声に受け流して横になれり、
お加女《かめ》はポン/\と煙管《きせる》叩《たた》きながらの独り言「吉野さんの方はどうかと聞けば、ヤレ私《わたし》が貧乏人の女《むすめ》であつても貰ひたいと仰《お》つしやるのでせうかの、仮令《たとへ》急に悪病が起つて耻かしい様な不具《かたは》になつても、御見棄《おみす》てなさらぬのでせうかの、フン、言ひたい熱を吹いて、何処《どこ》に今時、損徳も考へずに女房など貰ふ馬鹿があるものか、――不具になつても御厭《おいと》ひなさらぬか、へ、自分がドンなに別嬪《べつぴん》だと思つて居るんだ、彼方《あつち》からも此方《こつち》からも引手《ひくて》数多《あまた》のは何の為めだ、容姿《きりやう》や学問やソンな詰まらぬものの為めと思ふのか、皆な此の財産《しんだい》の御蔭だあネ、面《かほ》の艶《つや》よりも今は黄金《おかね》の光ですよ、憚《はゞか》りながら此の財産は何某様《どなたさま》の御力だと思ふんだ、――其の恩も思はんで、身分の程も知らなんで、少しばかりの容姿を鼻に掛けて、今に段々取る歳も知らないで、来年はモウ廿四になるぢやないか、構ひ手の無くなつた頃に、是れが山木お梅と申す卒塔婆小町《そとばこまち》の成れの果で御座いツて、山の手の夜店へでも出るが可《い》い、どうセ耶蘇《ヤソ》などだもの、何を仕散《しちら》かして居るんだか、解つたもンぢやない」
ジロリ、横《よこた》はりて目を塞《ふさ》ぎ居る剛造を一瞥して「我夫《あなた》、仮睡《たぬき》などキメ込んでる時ぢやありませんよ、一昨日《をとゝひ》もネ、私《わたし》、兄の所で松島さんにお目に掛かつてチヤンと御約束して来たんです、念の為と思つたから、我儘《わがまゝ》育《そだち》で、其れに耶蘇《ヤソ》だからツて申した所が、松島さんの仰《お》つしやるには、イヤ外国の軍人と交際するには、耶蘇の嬶《かゝあ》の方が却《かへつ》て便利なので、元々梅子さんの容姿《きりやう》が望のだから、耶蘇でも天理教でも何でも仔細《しさい》ないツて、ほんたうに彼様《あんな》竹を割つた様なカラリとした方ありませんよ、それに兄の言ひますには、今ま此の露西亜《ロシヤ》の戦争と云ふ大金儲《おおかねまうけ》を目の前に控へてる時に、当時海軍で飛ぶ鳥落とす松島を立腹させちやア大変だから、無理にても押し付けて仕舞ふ様にツて、精々《せいぜい》伝言《ことづか》つて来たんです、我夫《あなた》、私の顔を潰《つぶ》しても可《よ》いお積《つもり》ですか」
剛造の仮睡《そらねむり》して返答なきに、お加女《かめ》は愈々《いよ/\》打ち腹立ち「今の身分になれたのは、誰の為めだと云ふんだネ、――それを梅子のことと云へば何んでも擁護《かばひだて》して、亡妻《しんだもの》の乳母迄引き取つて、梅子に悪智恵ばかり付けさせて――其程《それほど》亡妻が可愛いけりや、骨でも掘つて来て嘗《しやぶ》つてるが可《い》い」
「何だ大きな声して――幾歳《いくつ》になると思ふ」と云ひさま跳《は》ね起きたる剛造の勢《いきおひ》に、
「ハイ、今年《こんねん》取つて五十三歳、旦那様に三ツ上の婆アで御座います、決して新橋あたりへ行らつしやるなと嫉妬《やきもち》などは焼きませんから」
「ナニ、ありや、已《や》むを得ん交際《つきあひ》サ」
「左様《さやう》ですつてネ、雛妓《はんぎよく》を落籍《ひか》して、月々五十円の仕送りする交際《つきあひ》も、近頃外国で発明されたさうですから――我夫《あなた》、明日の教会の親睦会《しんぼくくわい》は御免を蒙ります、天長節は歌舞伎座へ行くものと、往年《むかし》から私《わたし》の憲法なんですから」
奥殿《おくどの》の風雲|転《うた》た急なる時、襖《ふすま》しとやかに外より開かれて、島田髷《しまだまげ》の小間使|慇懃《いんぎん》に手をつかへ「旦那様、海軍の官房から電話で御座いまする」
五の一
十一月三日、天《そら》は青々と澄みわたりて、地には菊花の芳香あり、此処都会の紅塵《こうぢん》を逃れたる角筈村《つのはずむら》の、山木剛造の別荘の門には国旗|翩飜《へんぽん》たる下《もと》に「永阪教会廿五年紀念園遊会」と、墨痕《すみあと》鮮かに大書せられぬ、
数寄《すき》を凝《こ》らせる奥座敷の縁に、今しも六七名の婦人に囲まれて女王《によわう》の如く尊敬せらるゝ老女あり、何処にてか一度拝顔の栄を得たりしやうなりと、首を傾けて考一考《かういつかう》すれば、アヽ我ながら忘れてけり、昨夜芝公園は山木紳商の奥室に於て、機敏豪放を以て其名を知られたる良人《をつと》をば、小僧|同然《どうやう》に叱咤《しつた》操縦せるお加女《かめ》夫人にてぞありける、昨夜の趣にては、年に一度の天長節は歌舞伎座に蓮歩《れんぽ》を移し給ふこと何年ともなき不文憲法と拝聴致せしに、如何《いか》なる協商の一夜の中に成立したればか、耶蘇《ヤソ》の会合などへは臨席し給ひけん、
> 今日を晴れと着飾り塗り飾りたる長谷川牧師の夫人は、一ときは嬌笑《けうせう》を装ひて「奥様《おくさん》が今日御出席下ださいましたことは教会に取つて、何と云ふ光栄で御座いませう、御多用の御体で在《い》らつしやいますから、兎《と》ても六《むつ》ヶ|敷《し》いことと一同|断念《あきら》めて居たので御座いますよ、能《よ》くまア、奥様御都合がおつきなさいましたことネ――山木家は永阪教会に取つては根でもあり、花でもありなので御座いまする上に、此の稀《まれ》な紀念会を御家の御別荘で開くことが出来、奥様の御出席をも得たと云ふ、此様《こん》な嬉しいことは覚えませぬので、心《しん》から神様に感謝致すので御座いますよ、ホヽヽヽ」
お加女夫人は例の抜き襟一番「教会へもネ、平生《しよつちゆう》参りたいツて言ふんで御座いますよ、けれども御存知《ごぞんじ》下ださいます通り家の内外《うちそと》、忙しいもンですから、思ふばかりで一寸《ちつと》も出られないので御座いますから、嬢等《むすめども》にもネ、阿母《おつかさん》は兎《と》ても参つて居《を》られないから、お前方《まへがた》は阿母の代りまで勤めねばなりませんと申すので御座いますよ、ほんとに皆様《みなさん》の御体が御羨《おうらやま》しう御座いますことネ、ですから、貴女《あなた》、婦人会の方などもネ、会長なんて大した名前を頂戴《ちやうだい》して居りましても何の御役にも立ちませず、一切皆様に願つて居る様な始末でしてネ、ほんとにお顔向けも出来ないので御座いますよオホヽヽヽ」
「アラ、奥様《おくさん》勿体ないこと、奥様の信仰の堅くて在《い》らつしやいますことは、良人《やど》が毎々《つねづね》御噂申上げるので御座いましてネ、お前などはホンとに意気地《いくぢ》が無くて可《い》けないツて、貴女、其の度《たんび》に御小言《おこごと》を頂戴致しましてネ、家庭の能《よ》く治まつて、良人《をつと》に不平を抱《いだ》かせず、子女《こども》を立派に教育するのが主婦たるものの名誉だから、兎《と》ても及びも着かぬことではあるが、チと山木の奥様《おくさん》を見傚《みなら》ふ様にツて言はれるんですよ、御一家《ごいつけ》皆《みん》な信者で在《い》らつしやいまして、慈善事業と言へば御関係なさらぬはなく、ほんたうにクリスチヤンの理想の家庭と言へば山木様のやうなんでせう、――ねエ皆さん」
一同シナを作つて「ほんたうに長谷川の奥様《おくさん》の仰つしやいます通りで御座いますよ、オホヽヽヽヽヽヽ」
驚《おどろい》て、更に視線を転ずれば、太き松の根方に設けたる葭簀《よしず》の蔭に、しきりに此方《こなた》を見ては私語しつゝある五六の婦人を発見せり、中に一人|年老《としと》れるは則《すなは》ち先きに篠田長二の陋屋《ろうをく》にて識《し》る人となれる渡辺の老女なり「井上の奥様《おくさん》、一寸御覧なさい、牧師さんの奥様が、きつと又た例の諂諛《おべつか》を並べ立ててるんですよ、それに軽野《かるの》の奥様《おくさん》、薄井《うすゐ》の嬢様《ぢやうさん》、皆様お揃《そろ》ひで」
井上の奥様《おくさん》と呼ばれたる四十|許《ばか》りの婦人、少しケンある眼に打ち見遣《みや》りつ「申しては失礼ですけれど、あれが牧師の妻君などとは信者全体の汚涜《けがれ》です、なにも山木様の別荘なぞ借りなくとも、親睦会は出来るんです、実に気色に障《さ》はりますけれどネ、教会の御祝だと思ふから忍んで参つたのです――其れはサウと、老女《おば》さん、篠田様《しのださん》は今日御見えになるでせうか、ほんとに、御気の毒で、私《わたし》ネ、篠田様のこと思ふと腹が立つ涙が出る、夜も平穏《おつちり》と眠《ね》られないんです、紀念式にも咋夜の演説会にも彼《あ》の通り行らしつて、平生《いつも》の通り聴《きい》てらツしやるでせう、自分が逐《お》ひ出されると内定《きま》つて、印刷までしたプログラムから弁士の名まで削られたんでせう、普通の人で誰がソンな所へ行くものですか、先頃も与重《せがれ》が青年会のことで篠田様に何か叱かられて帰つて来ましてネ、僕は篠田先生の為めなら死んでも構はんて言ふんです、――教会も最早《もう》駄目です、神様の代りに、黄金《かね》を拝むんですから」
五の二
何万坪テフ庭園の彼方《かなた》此方《こなた》に設けたる屋台店《やたいみせ》を、食ひ荒らして廻はる学生の一群《ひとむれ》、
「オイ、大橋君、梅子さんが見えぬやうぢやないか」
「又た井上の梅子さん騒ぎか、先刻《さつき》一寸見えたがナ、僕は何だか気の毒の様に感じたから、挨拶もせずに過ぎたのサ、彼女《むかう》でも成るべく人の居ない方へと、避《さけ》てる様子であつたからナ、山木見たいな爺《おやぢ》に梅子さんのあると云ふは、君、正に一個の奇跡だよ」
「ほんたうに左様《さう》だネ、悪魔と天女、まア好絶妙絶の美術的作品とはアレだらうか、僕は昨夜《ゆうべ》も演説会で、梅子さんの為めに、幾度同情の涙を拭いたか知れないのだ、彼《あ》の美しき歌も震《ふるひ》を帯んで、洋琴《オルガン》は全く哀調を奏でて居たぢやないか、――厳粛に座《すわ》つて謹聴してる篠田先生の方を、チヨイチヨイと看《み》て居なすツたがネ、其胸中には何等の感想が往来してたであらうか、――先生は是れ罪なき犠牲の小羊、之を屠《ほふ》る猛悪の手は則《すなは》ち自分の父」と語り来《きた》れる井上は、俄《にはか》に声を荒らげて「見給へ、剛一は愈々《いよ/\》奸党に定《き》まつたよ、僕等でさへ先生の誠心に動かされて退会の決議を飜《ひるが》へし、今日も満腔《まんかう》の不平を抑へて来た程ぢやないか、剛一何物ぞ、苟《いやしく》も己《おのれ》が別荘で催ふさるゝ親睦会であつて見れば、一番に奔走|斡旋《あつせん》するのが当然だ、然るに顔さへ出さぬとは失敬極まるツ」
大橋は首打ち振り「否《い》な、彼の今日《こんにち》来ないと云ふのが、彼の我党たる証拠だよ、彼は爺《おやぢ》の非義非道を慚愧《ざんき》に堪へないのだ、彼は今や小松内府の窮境に在《あ》るのだ、今頃は、君、自宅《うち》の書斎で涙に暮れて祈つてるヨ」
「左様《さう》か知ラ」と井上は首を傾けしが、俄《にはか》にノゾき込んで声打ちひそめ「君、僕は昨夜《ゆうべ》からの疑問だがネ
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