ばならねのだけれど、会長が何しても山木さんで、副会長が牧師の奥さんと来て居るんだから、手の出し様が無いツて、涙を流して怒つて居らつしやるのです、私も驚いてしまひましてネ、明日は早朝に参つて先生の御量見を伺ひませうツてお別れしたのです、先生まア何《ど》うしたら可《い》いので御座いませう」
懸河《けんが》滔々《たう/\》たる老女の能弁を鬚《ひげ》を弄しつゝ聴き居たる篠田
「老女《おば》さん、其れは何事ですか、私《わたし》には毫《すこし》もわかりませぬが」
「先生、何です御わかりになりませぬ――まア驚いたこと――先生、貴郎《あなた》を教会から逐《お》ひ出す相談のあるのを未《ま》だ御存知ないのですか」
「あア、其《それ》ですか」と篠田の軽く首肯《うなづ》くを、老女は黙つて穴の開《あく》ばかりに見つめたり、
三の二
渡辺の老女は不平を頬に膨《ふく》らして「あア其れですかどころぢや有りませんよ、先生、貴郎《あなた》が今《い》ま厳乎《しつかり》して下ださらねば、永阪教会も廿五年の御祝で死んで仕舞ひます、御祝だやら御弔《おとむらひ》だやら訳が解《わ》からなくなるぢやありませんか、貴郎《あなた》ネ、井上の奥様《おくさん》の御話では青年会の方々も大層な意気込で、若《も》し篠田さんを逐ひ出すなら、自分等も一所に退会するツてネ、井上|様《さん》の与重《よぢゆう》さん杯《など》先達《せんだつ》で相談最中なさうですよ、先生、何《ど》うして下ださる御思召《おぼしめし》ですか」
篠田は僅《わづか》に口を開きぬ「私《わたし》の故に数々《しば/\》教会に御迷惑ばかり掛けて、実に耻入《はぢい》る次第であります、私を除名すると云ふ動機――其の因縁《いんねん》は知りませぬが、又たそれを根掘りするにも及びませぬが、しかし其表面の理由が、私の信仰が間違つて居るから教会に置くことならぬと云ふのならば、老女《おば》さん、私は残念ながら苦情を申出《まうしいで》る力が無いのです、教会の言ふ所と私の信仰とは慥《たしか》に違つて居るのですから――けれど、老女さん教会の言ふ所と私の信仰と、何《どち》らが神様の御思召に近いかと云ふ段になると、其を裁判するのは只だ神様ばかりです、只だ御互に気を付けたいのは、斯様《かやう》なる紛擾《ごた/\》の時に真実、神の子らしく、基督《キリスト》の信者らしく謙遜《けんそん》に柔和《にうわ》に、主《しゆ》の栄光を顕《あわ》はすことです――私の名が永阪教会の名簿に在《あ》ると無いとは、神の台前に出ることに何の関係もないことです、教会の皆様を思ふ私の愛情は、毫《すこし》も変はることが出来ないです、老女《おば》さんは何時《いつ》迄《まで》も老女さんです」
老女は何時しか頭《かしら》を垂れて膝《ひざ》には熱き涙の雨の如く降りぬ、
良《やゝ》久《ひさし》くして老女は面《おもて》押し拭《ぬぐ》ひつ、涙に赤らめる眸《ひとみ》を上げて篠田を視上げ視下ろせり「どしたら、貴郎《あなた》のやうな柔和《やさし》いお心を持つことが出来ませう――其れに就《つ》けても理も非もなく山木さんの言ふなり放題になさる、牧師さんや執事さん方の御心が、余り情ないと思ひますよ――私見たいな無学文盲には六《むづ》ヶ|敷《しい》事は少しも解りませぬけれど、あの山木さんなど、何年にも教会へ御出席《おいで》なされたことのあるぢや無し、それに貴郎、酒はめしあがる、芸妓買《げいしやがひ》はなさる、昨年あたりは慥《たし》か妾を囲《かこ》つてあると云ふ噂《うはさ》さへ高かつた程です、只《た》だ当時|黄金《かね》がおありなさると云ふばかりで、彼様《あんな》汚《けが》れた男に、此の名高い教会を自由にされるとは何と云ふ怨《うら》めしいことでせう」
老女は又も面《おもて》を掩《おほ》うてサメザメと泣きぬ、
老女は鼻打ちかみつ、「けども先生、山木さんも昔日《むかし》から彼様《あんな》では無かつたので御座いますよ、全く今の奥様が悪いのです、――私《わたし》は毎度《いつも》日曜日に、あの洋琴《オルガン》の前へ御座りなさる梅子さんを見ますと、お亡《なくなり》なさつた前の奥様を思ひ出しますよ、あれはゼームスさんて宣教師さんの寄進なされた洋琴で、梅子さんの阿母《おつか》さんの雪子さんとおつしやつた方が、それをお弾《ひ》きなすつたのです、丁度《ちやうど》今の梅子さんと同じ御年頃で、日曜日にはキツと御夫婦で教会へ行らつしやいましてネ、山木さんも熱心にお働きなすつたものですよ、――拍子《ひやうし》の悪いことには梅子さんの三歳《みつ》の時に奥様がお亡《なくなり》になる、それから今の奥様をお貰ひになつたのですが、貴様《あなた》、梅子さんも今の奥様には随分|酷《ひど》い目にお逢ひなさいましたよ、ほんたうに前の奥様はナカ/\雄《えら》い、好い方で御座いました、御容姿《ごきりやう》もスツキリとした美くしいお方で――梅子さんが御容姿と云ひ、御気質と云ひ、阿母さんソツクリで在《いら》つしやいますの、阿母さんの方が気持ち身丈《せい》が低くて在《い》らしつたやうに思ひますがネ――」
老女の心は、端《はし》なくも二十年の昔日《むかし》に返へりて、ひたすら懐旧の春にあこがれつゝ、
「先生、其頃まで山木|様《さん》は大蔵省に御勤めで御座いましてネ、何でも余程幅が利《き》いて在《い》らしつたらしかつたのです、スルと、あれはかうツと――左様《さう》/\十四年の暮で御座いましたよ、政府《おかみ》に何か騒が御座いましてネ、今の大隈様《おほくまさん》だの、島田様だのつてエライ方々が、皆ンな揃《そろつ》て御退《おさが》りになりましてネ、其時山木様も一所に役を御免《おやめ》になつたのです、今まで何百ツて云ふ貴《よ》い月給を頂いて居らつしやいましたのが、急に一文なしにおなりなすつたのですから、ほんとに御気の毒の様で御座いましたがネ、奥様が、貴郎《あなた》、厳乎《しつかり》して、丈夫《をとこ》に意見を貫《とほ》させる為めには、仮令《たとへ》乞食になるとも厭《いと》はぬと言ふ御覚悟でせう、面《かほ》は花の様に御美しう御座いましたが、心の雄々しく在《い》らしつたことは兎《と》ても男だつて及びませんでしたよ、山木さんの辞職なされたのも、つまり奥様の御勧《おすゝめ》だと其頃一般の評判でしたの、――其れから奥様は学校の教師《せんせい》をなさる、山木様は新聞を御書きになつたり、演説をして御歩きになつたりして、奥様はコンな幸福は無いツて喜んで在らつしやいましたが、感冒《おかぜ》の一寸こじれたのが基《もと》で敢《あへ》ない御最後でせう――私は尋常《ひとかた》ならぬ御恩《おめぐみ》に預つたもんですから、おしまひ迄御介抱申し上げましたがネ、先生、其の御臨終の御立派でしたこと、四十何度とか云ふ高熱で、普通の人ならば夢中になつて仕舞ふ所ですよ、――山木様の御手を御握《おにぎり》になりましてネ、何卒《どうぞ》日本の政道の上に基督《キリスト》の御栄光《おんさかえ》を顕《あら》はして下ださる様、必ず神様への節操《みさを》をお忘れなさるなと仰《お》つしやいましたが、山木様が決して忘れないから安心せよと御挨拶《ごあいさつ》なさいますとネ、奥様は世に嬉しげに莞爾《にこり》御笑ひ遊ばしてネ、先生、私は今も彼《あ》の時の御顔が目にアリ/\と見えるのです、其れから今度は梅子をと仰つしやいますからネ、未《ま》だ頑是《ぐわんぜ》ない三歳《みつ》の春の御嬢様を、私がお抱き申して枕頭《まくらもと》へ参りますとネ、細ウいお手に、楓《もみぢ》の様な可愛いお手をお取りなすつて、梅ちやんと一と声遊ばしましたがネ、お嬢様が平生《いつも》の様に未だ片言交《かたことまじ》りに、母ちやんと御返事なさいますとネ、――ジツと凝視《みつめ》て在《い》らしつた奥様のお目から玉の様な涙が泉の様に――」
「アヽ、思へば、先生」と老女は涙押し拭《ぬぐ》ひつ「未《ま》だ昨日の様で御座いますが、モウ二たむかし、其の時此の婆のお抱き申した赤児様《あかさま》が、今の立派な梅子さんです、御容姿《ごきりやう》なら御学問なら、御気象なら何《いづ》れ阿母《おつか》さんに立ち勝《まさ》つて、彼様《ああ》して世間《よのなか》の花とも、教会の光とも敬はれて在《い》らつしやるに、阿父《おとうさん》の御様子ツたら、まア何事で御座います、臨終《いまは》の奥様に御誓ひなされた神様への節操《みさを》が、何所《どこ》に残つて居りますか」
老女は急に気を変へて、打ちほゝ笑み「まア、先生、朝ツぱらから此様《こんな》愚痴を申して済みませぬが、考へて見ますと、成程女と云ふものは悪魔かも知れませぬのねエ、山木様も奥様のお亡《なくな》りなされた当分は、我家の燈《ともしび》が消えたと云つて愁歎《しうたん》して在《い》らしたのですよ、紀念《かたみ》の梅子を男の手で立派に養育して、雪子の恩に酬ゆるなんて吹聴《ふいちやう》して在らつしやいましたがネ、其れが貴郎《あなた》、あの投機師《やまし》の大洞《おほほら》利八と知り合におなりなすつたのが抑《そも/\》で、大洞も山木様の才気に目を着け、演説や新聞で飯の食《くへ》るものぢや無い、是《こ》れからの世の中は金だからつてんでネ、御馳走《ごちそう》はする、贅沢《ぜいたく》はして見せる、其れに貴郎、鰥《やもめ》と云ふ所を見込んでネ、丁度|俳優《やくしや》とドウとかで、離縁されてた大洞の妹を山木さんにくつ付けたんですよ、ほんたうにまア、ヒドいぢやありませんか、其れが、貴郎《あなた》、今の奥様のです、だから二た言目には此の山木の財産《しんだい》は己《おれ》の物だつて威張るので、あんな高慢な山木様も、家内《うち》では頭が上がらないさうです、――先生、外国人は矢ツ張り目が肥《こ》えて居りますのネ、ゼームスつて彼《あ》の洋琴《オルガン》を寄附した宣教師さんがネ、米国《くに》へ帰る時、前《ぜん》の奥様に呉々《くれぐれ》も仰つしやつたさうですよ、山木様は余り悧巧《りかう》だから、貴女《あなた》が常に気を付けて過失《あやまち》の無い様にせねばならない、基督《キリスト》の御弟子の中で一番悧巧であつたものが、主《しゆ》を三十両で売り渡したイスカリヲテのユダなのだからツてネ、ほんとに先生、さうで御座いますよ、――何の蚊《か》のと角《かど》ばつたことは申しますがネ、もう/\女の言ふなり次第なものです、考へて見ると世の中に、男ほど意気地《いくぢ》の無いものは御座いませんのねエ」
是れは飛んだことをと、言ひ放つて老女は、窃《そつ》と見上げぬ、
「実に御辞《おことば》の通りです」と篠田は首肯《うなづ》き「けれど老女《おば》さん、真実我を支配する婦人の在ることは、男児《をとこ》に取つて無上の歓楽では無いでせうか」
老女は只だ怪訝顔《けげんがほ》、
四
山木剛造は今しも晩餐《ばんさん》を終りしならん、大きなる熊の毛皮にドツかと胡座《あぐら》かきて、仰げる広き額には微醺《びくん》の色を帯びて、カンカンと輝ける洋燈《ランプ》の光に照れり、
茶をすゝむる妻の小皺《こじわ》著《いちじるし》き顔をテカ/\と磨きて、忌《いまは》しき迄|艶装《わかづくり》せる姿をジロリ/\とながめつゝ「ぢやア、お加女《かめ》、つまり何《どう》するツて云ふんだ、梅の望《のぞみ》は」
妻のお加女はチヨイと抜《ぬ》き襟《えり》して「どうするにも、かうするにも、我夫《あなた》、てんで訳が解つたもンぢやありませんやネ、女がなまなか学問なんかすると彼様《あんな》になるものかと愛想が尽きますよ、何卒《どうぞ》芳子にはモウ学問など真平《まつぴら》御免ですよ、チヨツ、親を馬鹿にして」
「何だか少しも解らないなア」
「其りやお解になりますまいよ、どうせ何にも知らない継母《まゝはゝ》の言ふことなどを、お聴き遊ばす御嬢様ぢや無いんですから――我夫《あなた》から直《ぢか》にお指図なさるが可《よ》う御座んすよ、其の為めの男親でさアね」
剛造の太き眉根《まゆね》ビクリ動きしが、温茶《ぬるちや
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