んてい》の三人連、
「イヨウ、素敵な別嬪《べつぴん》が立つてるぢやねエか――池《いけ》の端《はた》なら、弁天様の御散歩かと拝まれる所なんだ」
「束髪《そくはつ》で、眼鏡で、大分西洋がつたハイカラ式の弁天様だ、海老茶袴《えびちやばかま》を穿《は》いてねい所が有難い」
「見ねイ、弁天様の御側に三途川原《さんづがはら》の婆さんも御座るぜ」
「何《いづ》れ一度は御厄介《ごやつかい》になりますが聞いて呆《あ》きれらア、ハヽヽヽヽ」「ハヽヽヽヽヽヽ」
 お加女は顔を顰《しか》めつ「車夫は何処へ行つて仕舞《しかしま》ツたらう」
 日は既に森蔭に落ちたる博物舘前を、大きなる書籍の包《つゝみ》、小脇に抱へて此方《こなた》に来れるは、まがうべくもあらぬ篠田長二なり、図書舘よりの帰途にやあらん、
 梅子は遙《はるか》に其れと見るより、サと面《おもて》を赧《あか》らめつ、
 折柄竹の台の方《かた》より額の汗|拭《ぬぐ》ひも敢《あ》へず、飛ぶが如くに走せ来れる二人の車夫を、お加女はガミ/\と頭から罵《のゝし》りつ、ヤヲら車に乗り移りしが、宛《あたか》も其前に来れる篠田は、梅子と相見て慇懃《いんぎん》に黙礼し、又たスタ/\と歩み去る、
「梅子、早くおしなネ」と言ひつゝ、お加女のチヨイと振り向く時、篠田の横顔、其目に入りしにぞ、「悪党ツ」と口の裡《うち》にツブやきつ、恍然《うつとり》立てる梅子を、思ふさまグイと睨《にら》み付けぬ、

     二十一の二

 都会の紅塵《こうぢん》を離れ、隅田の青流に枕《のぞ》める橋場の里、数寄《すき》を凝《こ》らせる大洞利八《おほほらりはち》が別荘の奥二階、春寒き河風を金屏《きんぺい》に遮《さへぎ》り、銀燭の華光|燦爛《さんらん》たる一室に、火炉を擁《よう》して端坐せるは、山木梅子の母子《おやこ》なりけり、
 珍客接待の役相勤むるは大洞の妻のお熊、黒く染めたる頭髪《かみ》を脂《あぶら》滴《したた》るばかりに結びつ「加女さん、今年のやうに寒《かん》じますと、老婆《としより》の難渋《なんじふ》ですよ、お互様にネ――梅子さんの時代が女性《をんな》の花と云ふもんですねエ――」
「でも姉さんは一寸《ちつと》も御変《おかはり》なさいませんがネ、私ツたら、カラ最早《もう》仕様《しやう》が無いんですよ、芳子などに始終《しよつちゆう》笑はれますの――何時の間に斯《か》う年取つたかと、ほんとに驚いて仕舞ひますの」とお加女は目を細くして強ひて笑ひつ、
「お客来《きやくらい》の所へ参《あが》りまして、伯母さん、飛んだお邪魔致しましてネ」と梅子の気兼ねするに「ほんとにねエ」とお加女も相和す、
「何の、貴女《あなた》」と、お熊は刺しつ「日常《しよつちゆう》来《いら》つしやるお客様でネ、家内同様の方なんですから、気兼も何もありやしませんよ、山木の御家内なら、寧《いつ》そ同席《いつしよ》に御馳走にならうつて仰《おつ》しやるんですよ、梅子さん、磊落《きさく》な方ですから、何卒御遠慮なくネ」
 カラ/\と打ち笑ふ男の声聞えて、主人の利八と物語りつゝ、階子《はしご》上り来《きた》るは、今しもお熊の噂《うはさ》せる其人なるべし、
 襖《ふすま》手荒らに開かれて現はれたる一丈天、其の衣《きぬ》の身に合はず見ゆるは、大洞《おほほら》のをや仮り着せるならん、既に稍々《やゝ》酒気を帯びたる面《かほ》を燈火《ともしび》に照らしつ、立ちたるまゝに「ヤア、山木の内君――新年先づ御目出たう」
「まア、何殿《どなた》かと思ひましたら、貴所《あなたさま》ですか――姉さん、酷《ひど》いことねエ、知らして下ださらぬもんですから、飛んだ失礼致したぢや御座んせんか」と、お加女はホヽと笑《ゑみ》傾け「あら、私《わたし》としたことが、御挨拶《ごあいさつ》も致しませんで――どうも旧年中は一方ならぬ御世話様に預りまして、何卒相変りませず」
「イヤ、左様《さう》固く出られると大《おほい》に閉口する――お互様ぢや」と、客は無頓着《むとんちやく》に打ち笑ひ「知らぬ方でもないので、御邪魔に来ました」
「さア、何卒《どうぞ》是れへ」とお加女が座をいざりて上座を譲らんとするを「ヤ、床の置物は御免《ごめん》蒙《かう》むらう」と、客は却《かへつ》て梅子の座側に近づかんとす、
 お熊も興《きよう》がりて「其の方が可《よう》御座んす、どうせ、貴所《あなた》は家内《うち》の人も同様で在《いら》つしやるんですから」と言ふを「成程、其れが西洋式でがすかナ」と利八も笑ふ、
 梅子の左側に客はドツかと座に就きぬ「令嬢失礼致します」
 梅子は只《た》だ慇懃《いんぎん》に黙礼せるのみ、
「オヽ、梅子」とお加女は顧み「お前さんは未《ま》だお初《は》つに御目に懸《かゝ》るんでしたネ、此方《このかた》が阿父《おとつさん》の一方ならぬ御厚情に預《あづか》る、海軍の松島様で――御不礼《ごぶれい》無い様に御挨拶《ごあいさつ》を」
 偖《さて》はと梅子の胸|轟《とどろ》くを、松島は先《ま》づ口を開きつ「我輩が松島と云ふ無骨漢《ぶこつもの》です――御芳名は兼ねて承知致し居ります」
 去れど梅子は只《た》だ重ねて黙礼せるのみ、
 如才なき大洞は下婢が運べる盃《さかづき》取つて松島に差しつ「ぢや、貴所《あなたさま》からお始め下さい」
「梅子、お酌を」と、お加女は促《うな》がしつ、

     二十一の三

「御酌を」と促《うな》がされたる梅子は、俯《うつむ》きたるまま、微動《みゆるぎ》だにせず、
 再び促がされても、依然たり、
「何《どう》したんだねエ、此の女《こ》は」と、お加女《かめ》の耐《こら》へず声荒ららぐるを、お熊はオホヽと徳利《てうし》取り上げ、
「なにネ、若い方は兎角《とかく》耻づかしいもんですよ、まア其の間《うち》が人も花ですからねエ――松島さん、たまにほ、老婆《おばあ》さんのお酌もお珍らしくて可《よ》う御座んせう」
「老女《としより》の方が実は怖《こは》いのサ」と、松島の呵々大笑《かゝたいせう》して盃を挙ぐるを、「まア、お口のお悪いことねエ」とお熊も笑ひつ「何卒松島さんお盃はお隣へ――」
「左様《さう》ですか、――然《し》かし失礼の様ですナ」と、美しき梅子の横顔、シゲ/\見入りつ「では、山木の令嬢」と小盃《ちよく》をば梅子に差し付けぬ、
「梅ちやん、松島さんのお盃《さかづき》ですよ」と徳利差し出して、お熊の促《うな》がすを、梅子は手を膝《ひざ》に置きたるまゝ、目を上げて見んとだにせず、
「梅子、頂戴《ちやうだい》しないのかね」と、お加女は目に角立《かどた》てぬ、
「かう云ふ不調法もので御座いましてネ、誠に御不礼ばかり致しまして」
「なにネ、お加女さん、御婚礼前は誰でも斯《か》うなんですよ」と、お熊はバツを合はして「ぢやア梅ちやんの名代《みやうだい》に、松島さん、私が頂戴致しませう」
「こりや奇麗《きれい》な花嫁が出来ましたわイ」と利八は大笑す、
「あら、旦那、何ですねエ」と、お熊は手を揚《あ》げて、叩《たゝ》くまねしつ「是《こ》れでも鶯《うぐひす》鳴かせた春もあつたんですよ」グツと飲み干してハツハと笑ふ、
 何れも相和して笑ひどよめく、
 梅子の眉ビクリ動きつ、帯の間より時計出して、ソと見やるを、お熊は早くも見とめて「梅ちやん、タマに来て下だすつたんだから、何卒|寛裕《ゆつくり》して下ださいナ、其れに御遠方なんだから、此の寒い夜中にお帰りなさるわけにはなりませんよ、最早《もう》、其の心算《つもり》にして置いたのですから、一泊《おとま》りなすつてネ――ねエ、お加女さん、可《い》いでせう」
「ハア、遅くなつたら泊りますからツて、申しては来ましたがネ」
「ぢや、大丈夫ですよ」と、早くもお熊は酒が言はする上機嫌《じやうきげん》「暫《しばら》く振りで梅ちやんの琴を聴かせて頂きませう――松島さん、梅ちやんは西洋のもお上手で在《いら》つしやいますがネ、お琴が又た一ときはで在つしやるんですよ」
「左様《さう》ですか、――是非拝聴致しませう」と松島は盃《ちやく》を片手に梅子に見とるゝばかり、
 酒次第に廻りて、席|漸《やうや》く濫《みだ》る、
「旦那」と小声に下婢の呼ぶに、大洞は暫《し》ばしとばかり退《ま》かり出でぬ、
 お熊の目くばせに、お加女も何やらん用事ありげに立ち去りぬ、
 お熊は松島の側近く膝《ひざ》を進めて「ほんとにねエ、さうして御両人《おふたり》並んで在《いら》つしやると、如何《どんな》に御似合ひ遊ばすか知れませんよ――梅ちやん、貴嬢《あなた》も嬉しくて居《いら》つしやいませう」と、酔顔斜めに梅子を窺《うかが》ひ、徳利《てうし》取り上げて松島に酌《つ》がんとせしが「あら、冷えて仕舞《しま》つたんですよ」と、ニヤり松島と顔見合はせ、其儀《そのまゝ》スイと立つて行きぬ、微動だもせで正座し居たる梅子、今まお熊さへ出で行くと見るより、直《ただち》に立つて後を追はんとするを、松島、忽如《こつじよ》猿臂《えんぴ》を伸ばして袂《たもと》を捉《とら》へつ、「梅子さん」
「何遊ばすツ」振り回《かへ》りたる梅子の面《かほ》は憤怒の色に燃えぬ、
 グイと引きたる男の力に、梅子の袂《たもと》ピリヽ破れつ、

     二十一の四

「何あそばすツ」
 と再び振り向く梅子を、力まかせに松島は引き据《す》ゑつ、憤怒の色、眉宇《びう》に閃めきしが忽《たちまち》にして強《しひ》て面《おもて》を和《やは》らげ、
「梅子さん、貴嬢《あなた》、余り残酷ではありませぬか、成程《なるほど》今夜の始末、定めて御立腹でもありませうが、少しは御推察をも願ひたい――私の切情は、梅子さん、疾《と》く御諒承下ださるでせう、貴嬢は私を御存知ありますまいが、私は能《よ》く貴嬢を存じて居ります――私は前年先妻を亡《うし》なつた時、最早《もは》や終生独身と覚悟致しました、――梅子さん、仮にも帝国軍人たるものが、其の決心を打ち忘れて、斯かる痴態を演ずると云ふ、男子が衷情《ちゆうじやう》の苦痛を、貴嬢は御了解下ださらぬですか」
 松島は梅子の袂《たもと》をシカと握れるまゝ、ジツと其|面《おもて》ながめ遺《や》り「斯く御婦人に対して御無礼を働きまするも――幾度も拒絶されたる貴嬢に対して、耻辱を忍《しのん》で御面会致すと言ふも、人伝《ひとづ》てにては何分にも靴を隔てて痒《かゆき》を掻くの憾《うらみ》に堪へぬからです、今日《こんにち》に至《いたつ》ては、強《しひ》て貴嬢の御承諾を得たいと云ふのが私の希望では御座いませぬ、只だ貴嬢の御口から直接《ぢか》に断念せよと仰《おつ》しやつて下ださるならば、私は其を以て善知識の引導と嬉しく拝聴致します、不肖ながら帝国軍人です、匹夫《ひつぷ》野人《やじん》の如く飽くまで纏綿《つきまと》つて貴嬢を苦め申す如き卑怯《ひけふ》の挙動《ふるまひ》は、誓つて致しませぬ、――何卒、梅子さん、只だ一言|判然《はつきり》仰《おつ》しやつて下ださい」
 梅子はワナなく身を耐《こら》へて瞑目《めいもく》す、
 松島は一きは声ひそめつ、「梅子さん、今に至《いたつ》て考へて見れば、我ながら余りの愚蒙《ぐもう》と軽忽《けいこつ》とに呆《あき》れるばかりです、私は初め山木君――貴嬢《あなた》の父上の御承諾を得ました時、既に貴嬢の御承諾を得たるが如く心得、歓喜の余り、親友|知己等《ちきら》へも吹聴《ふいちやう》したのです、御笑ひ下ださるな、恋は大人《おとな》をも小児《こども》にする魔術です、――去れば今日《こんにち》、貴嬢から拒絶されたと云ふことが知れ渡つたものですから、同僚などから殆《ほとん》ど毎日の如く冷笑される、何時《いつ》結婚式を挙げるなど揶揄《からか》はれる其度《そのたび》に、私は穴にも入りたい様に感じまするので、寧《むし》ろ自殺して此の痛苦から逃れようかなど考へることもありまするが併《し》かし是《こ》れ一に私の罪なので、誰を怨《うら》むる筈《はず》も無く、親の権力が其子の意思を支配し得ると云ふ野蛮思想から、軽忽《けいこつ》に狂喜した我が愚《おろか》を慚愧《ざんき》する外は
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