田の奥様《おくさん》に能《よ》くお話して御依頼しましたが、何《いづ》れも快く引き受けて下ださいましたから、当分慈愛館で修業なさるのです」
「ですけども先生」とお花は顔|僅《わづか》に擡《もた》げつ、「私の様なものは兎《と》ても世間へ面出《かほだ》しが出来なからうと思ひましてネ、寧《いつ》そ御迷惑さまでも、お家《うち》で使つて戴いて、大和さんや、老母《おば》さんに何か教へて戴きたいと考へますの――」
「花さん、何時の間に貴女《あなた》は其様《そん》な弱き心にお化《な》りでした、――先夜始めて新聞社の二階で御面会致した時、貴女と同じ不幸に陥《おちい》つてる女《ひと》、又陥りかけてる女が何千何万とも限《かぎり》ないのであるから、其を救ふ為めの一個《ひとり》の証人《あかしびと》にならねばならぬと申したれば、貴女は身を粉《こ》に砕いても致しますと固く約束なされたでせう」
 と篠田はお花を奨《はげ》ましつ「誠《まこと》に世の中は不幸なる人の集合《あつまり》と云うても差支《さしつかへ》ない程です、現に今ま爰《こゝ》へ団欒《よつ》てる五人を御覧なさい、皆な社会《よのなか》の不具者《かたは》です、渡辺の老女さんは、旦那様《だんなさま》が鹿児島の戦争で討死《うちじに》をなされた後は、賃機《ちんはた》織つて一人の御子息を教育なされたのが、愈々《いよ/\》学校卒業と云ふ時に肺結核で御亡《おなく》なり、――大和君の家《いへ》は元《も》と越後の豪農です、阿父《おとつ》さんが国会開設の運動に、地所も家も打ち込んで仕舞ひなすつたので、今の議員などの中には、大和君の家《うち》の厄介になつた人が幾人あるとも知れないが、今ま一人でも其の遺児を顧るものは無い、然《し》かし大和君は我も殆《ほとん》ど乞食同様の貧しき苦痛を嘗《な》めたから、同じ境遇の者を救はねばならぬと、此の近所の貧乏人の子女《こども》の為め今度学校を開いたので、今夜のクリスマスを以て其の開校式を挙げた積りのです、――兼吉君のことは花さん、既に御聞になつたでせう、兼吉君の阿父《おとつ》さんが、自分の財産《しんだい》を挙《あ》げて保証《うけにん》の義務を果たすと云ふ律義な人で無《なか》つたならば、老婆《おばあ》さんも今頃は塩問屋の後室《おふくろさま》で、兼吉君は立派に米さんと云ふ方の良人《をつと》として居られるのでせう、――私自身を言うて見ても、秩父《ちゝぶ》暴動と云ふことは、明治の舞台を飾る小さき花輪になつて居るけれ共、其犠牲になつた無名氏の一人の遺児《かたみ》が、父母より譲受《ゆづりう》けた手と足とを力に、亜米利加《アメリカ》から欧羅巴《ヨウロツパ》まで、荒き浮世の波風を凌《しの》ぎ廻つて、今日コヽに同じ境遇の人達と隔《へだて》なく語り合つて居るのです、私の近き血縁を云へば只《たつ》た一人の伯母がある、今でも訪ふ人なき秩父の山中に孤独《ひとり》で居る、世の中は不人情なものだと断念して何《どう》しても出て来ない、――花さん、屈辱《はぢ》を言へば、貴女一人の生涯《しやうがい》ではない、只《た》だ屈辱の真味を知るものが、始めて他《ひと》を屈辱から救ふことが出来るのです」
 一座しんみりと頭《かしら》を垂れぬ、
「御覧なさい、救世主として崇敬《うやま》はるゝ耶蘇《イエス》の御生涯を」と篠田は壁上の扁額《がく》を指しつ「馬槽《うまぶね》に始まつて、十字架に終り給うたではありませんか」

     十五

 多事多難なりける明治三十六年も今日に尽きて、今は其の夜にさへなりにけり、寺々には百八煩悩の鐘鳴り響き、各教会には除夜《ぢよや》の集会《あつまり》開かる、
 永阪教会には、過般《くわはん》篠田長二除名の騒擾《さうぜう》ありし以来、信徒の心を離れ離れとなりて、日常《つね》の例会《あつまり》もはかばかしからず、信徒の希望《のぞみ》なる基督降誕祭《クリスマス》さへ極《きは》めて寂蓼《せきれう》なりし程なれば、除夜の集会《あつまり》に人足《ひとあし》稀《まれ》なるも道理《ことわり》なりけり、
 時刻《とき》には尚《な》ほ間《ひま》あり、詣《まう》で来し人も多くは牧師館に赴きて、広き会堂電燈|徒《いたづ》らに寂しき光を放つのみなるに、不思議や妙《た》へなる洋琴《オルガン》の調《しらべ》、美しき讃歌の声、固く鎖《とざ》せる玻璃窓《はりまど》をかすかに洩《も》れて、暗夜の寒風に慄《ふる》へて急ぐ憂き世の人の足をさへ、暫《し》ばし停《とど》めしむ、
 洋琴の前に座したるは山木梅子、傍《かたへ》に聴き惚《ほ》れたるは渡辺の老女、
「今度は老女《おば》さんのお好きな歌を弾きませう」と、梅子が譜本繰り返へすを、老女はジツと見やりて思はず酸鼻《はなすゝ》りぬ、
「何《ど》うかなさいまして、老女《おば》さん」
 老女は袖口に窃《そ》と瞼《まぶた》拭《ぬぐ》ひつ「何ネ、――又た貴嬢《あなた》の亡母《おつか》さんのこと思ひ出したのですよ、――斯様《こんな》立派な貴嬢の御容子《ごようす》を一目|亡奥様《せんのおくさん》にお見せ申したい様な気がしましてネ、――」
 答へんすべもなくて、只《た》だ鍵盤に俯《うつぶ》ける梅子の横顔を、老女は熟《つ》く熟《づ》くとながめ「何《どう》して、梅子さん、貴嬢《あなた》は斯《か》うまで奥様に似て居らつしやるでせう、さうして居らつしやる御容子ツたら、亡母《おつか》さん其儘《そのまゝ》で在《い》らつしやるんですもの――此の洋琴《オルガン》はゼームス様《さん》が亡母さんの為めに寄附なされたのですから、貴嬢が之をお弾きなされば、奥様《おくさん》の霊《みたま》が何程《どんな》に喜んで聴いてらつしやるかと思ひましてネ――オホヽ梅子さん、又た年老《としより》の愚痴話、御免遊ばせ――」
「アラ、老女《おば》さん、そんなこと――此の教会で亡母《はゝ》のこと知つてて下ださるのは、今は最早《もう》老女さん御一人でせう、家《うち》でもネ、乳母《ばあや》が亡母のこと言ひ出しては泣きます時にネ、きツと老女さんのこと申すのですよ、私《わたし》、老女さんに抱いて戴いて、亡母《はゝ》と永訣《おしまひ》の挨拶《あいさつ》をしたのですとネ、――私、老女さん、此の洋琴に向ひますとネ、何《ど》うやら亡母が背後《うしろ》から手を取つて、弾いてでも呉れる様な気が致しましてネ、不図《ふと》、振り向いて見たりなどすることがあるんですよ、――私ネ、老女さん、此の教会を棄てることの出来ないのは、こればかりなんです――」
「まア、貴嬢《あなた》、飛んでも無いこと仰《おつ》しやいます、此上貴嬢が退会でもなさろものなら、教会は全《まる》で闇《やみ》ですよ、篠田さんの御退会で――」
 思はず言ひ掛けて、老女は俄《にはか》に口に手を当てぬ、「ほんとに老女《おば》さん、篠田さんのことでは私、皆様にお顔向けがならないのです、――老女さん、近く篠田さんに御面会《おあひ》なさいまして――」
「ついネ、此の廿五日にも参上《あが》つたのですよ、御近所の貧乏人の子女《こども》を御招《および》なすつて、クリスマスの御祝をなさいましてネ、――其れに余りお広くもない御家《おうち》に築地の女殺で八釜《やかまし》かつた男の母《おや》だの、自由廃業した芸妓《げいしや》だのツて御世話なすつて居らつしやるんですよ、ほんとに感心な方ですことネ――」
「其の芸妓《げいしや》のことで、老女《おば》さん、新聞などには大層、篠田さんの悪口が書いてあつたぢやありませんか」梅子の声は低く震へり、
「左様《さう》ですツてネ、貴嬢《あなた》、篠田さんが自分の妾になさるんだとか何とか書《かき》ましたつてネ、余《あ》まり馬鹿々々しいぢやありませんか、ナニ、皆《みん》な自分の心で他《ひと》を計るのですよ、クリスマスの翌日、彼《あ》の慈愛館へ伴《つ》れてお行《いで》になりましたがネ、――貴嬢、私の伜《せがれ》が生きてると丁度《ちやうど》篠田|様《さん》と同年のですよ、私、彼《あ》の方を見ると何時《いつ》でも涙が出ましてネ」
 梅子はホツと面《かほ》赧《あか》らめつ「何と云ふ失礼な新聞でせうねエ」
 此時、ベンチにはボツ/\人の顔見えぬ、長谷川牧師は扉を排して入り来れり、浅き微笑を頬辺《けふへん》に浮べて、

     十六の一

 午後五時三十分、東海道の上《の》ぼり※[#「さんずい+氣」、第4水準2−79−6]車《ぎしや》、正に大磯駅を発せんとする刹那《せつな》、プラットホームに俄《にはか》に足音|急《いそが》はしく、駅長自ら戦々兢々《せん/\きよう/\》として、一等室の扉を排《ひら》けば、厚き外套《ぐわいたう》に身を固めたる一個の老紳士、平たき面《おもて》に半白の疎髯《そぜん》ヒネリつゝ傲然《がうぜん》として乗り入る後《うし》ろより、未《ま》だ十七八の盛装せる島田髷《しまだまげ》の少女、肥満《ふとつちよう》なる体をゆすぶりつゝ笑《ゑみ》傾《かたむ》けて従へり、
 発車の笛、寒き夕《ゆふべ》の潮風に響きて、汽車は「ガイ」と一と動《ゆ》りして進行を始めぬ、駅長は鞠躬如《きくきゆうぢよ》として窓外に平身低頭せり、去《さ》れど車中の客は元より一瞥《いちべつ》だも与へず、
 未《ま》だ座には着くに至らざりし彼《か》の少女は、突如たる※[#「さんずい+氣」、第4水準2−79−6]車《きしや》の動揺に「オヽ、怖《こ》ワ」と言ひつゝ老紳士の膝《ひざ》に倒れぬ、
 紳士は其儘《そのまゝ》かき抱《いだ》きて、其の白きもの施《ほど》こせる額を恍惚《うつとり》と眺《なが》めつ「どうぢや、浜子、嬉しいかナ」と言ふ顔、少女は媚《こび》を湛《たゝ》へし眸《め》に見上げつゝ「御前《ごぜん》、奥様に御睨《おにら》まれ申すのが怖《こは》くてなりませんの」
「ハヽヽヽヽ何に奥が怖いことあるものか、あれは梅干|婆《ばゝあ》と云ふのぢやから、最早《もう》嫉《や》くの何《ど》うのと云ふ年ぢや無いわい、安心しちよるが可《よ》い、――其れよりも世の中に野暮《やぼ》なは、其方《そち》の伯父ぢや、昔時《むかし》は壮士ぢやらうが、浪人ぢやらうが、今は兎《と》に角《かく》芸人の片端《かたはし》ぢや、此頃の乱暴は何《ど》うぢや、姪《めひ》を売つて権門に諂《へつら》ふと世間に言はれては、新俳優の名誉に関《かゝ》はるから、其方《そち》を取り戻すなどと、イヤ、飛んだ活劇をし居つたわイ、第一|其方《そち》の心中《こころ》を察しない不粋《ぶすゐ》な仕打ぢや、ナ、浜子」
「あの時は、御前、何《ど》うなることかと私《わたし》、ほんとに怖《こは》う御座いましたよ、けども御前、伯父も本心から彼様《あんな》こと致したのでは御座いませぬでせうと思ひますの、御前の御贔負《ごひいき》に甘えまして一寸《ちよつと》狂言を仕組んで見たので御座いますよ」
「ウム、其方《そち》の方が余程物が解わちよる、――アヽ、僅《わづ》かの間でも旅と思へば、浜子、誰|憚《はば》からず、気が晴々としをるわイハヽヽヽヽ」
「ほんたうに左様《さう》で御座いますのねエ、ホヽヽヽヽ」
 人なき一室を我が世と楽《たのし》みて、又た他事もなき折こそあれ、「バタリ」響ける物音に、何事と彼方《かなた》を見れば、今しも便所の扉開きて現はれたる一客あり、陽春三月の花の天《そら》に遽然《きよぜん》電光|閃《きら》めけるかとばかり眉打ち顰《ひそ》めたる老紳士の面《かほ》を、見るより早く彼《か》の一客は、殆ど匍《は》はんばかりに腰打ち屈《かが》めつ、
「是れは/\伊藤侯爵閣下――」
 伊藤と呼ばれし老紳士は、膝《ひざ》より浜子を下ろしつゝ「ウム、山木か――」
「閣下、久しく拝謁《はいえつ》を見ませんでしたが、相変らず御盛《ごさかん》なことで恐れ入りまする」
「山木、隠居役になると、貴公等には用が無くなるからナ」
 と侯爵の冷《ひやゝ》かに笑ふを、山木剛造は額撫でつゝ「是《こ》れは閣下、決して左様な次第では御座りませぬが、――併し今日《こんにち》は誠に可《よ》い所で拝謁を得ました、実は是非共閣下の御権威《おちから》を拝借せねばならぬ義が御座
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