仰《あふむ》けに抱いて、右手に工場用の大洋刀《おほナイフ》を握つて居たと云ふのです」
ジツと聴き居たる花吉は窃《そつ》と涙を拭《ぬぐ》ひつ身を顛《ふる》はして、
「彼晩《あのばん》は貴下《あなた》、香雪軒で桂さんだの、曾禰《そね》さんだのツて大臣さん方の御座敷でしてネ、小米さんが大盃《コツプ》でお酒をグイ飲みするんですよ、あんなことは今まで一度も無いのですから、何《どう》したんだらうつて皆《みん》な不思議がつて居ましたの、少こし酔つたから風に吹かれた方が可《い》いつて、無理に車を返へしましてネ、一人で歩いて帰つたんですよ、――きつとあれから門跡様《もんぜきさま》へ参詣《おまゐり》したのです、何事も前世からの約束ですワねエ」
「承れば先生、兼吉の老母《おふくろ》を御世話なされまするさうで、恐れ入りました御心掛で」
「イヤ、世話致すなど申す程のことも出来ませんが、此際先づ男の家《うち》と、女の家《うち》を調和させたいと思ひましたが、丸井さん、実に不思議ですなあ、小米の父親は涙に暮れまして、是《こ》れと申すも手前共の悪るかつたからで、聊《いさゝ》か兼吉を怨む筋は無いと悔《く》いて居りまする
前へ
次へ
全296ページ中96ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
木下 尚江 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング