哀調を奏でて居たぢやないか、――厳粛に座《すわ》つて謹聴してる篠田先生の方を、チヨイチヨイと看《み》て居なすツたがネ、其胸中には何等の感想が往来してたであらうか、――先生は是れ罪なき犠牲の小羊、之を屠《ほふ》る猛悪の手は則《すなは》ち自分の父」と語り来《きた》れる井上は、俄《にはか》に声を荒らげて「見給へ、剛一は愈々《いよ/\》奸党に定《き》まつたよ、僕等でさへ先生の誠心に動かされて退会の決議を飜《ひるが》へし、今日も満腔《まんかう》の不平を抑へて来た程ぢやないか、剛一何物ぞ、苟《いやしく》も己《おのれ》が別荘で催ふさるゝ親睦会であつて見れば、一番に奔走|斡旋《あつせん》するのが当然だ、然るに顔さへ出さぬとは失敬極まるツ」
 大橋は首打ち振り「否《い》な、彼の今日《こんにち》来ないと云ふのが、彼の我党たる証拠だよ、彼は爺《おやぢ》の非義非道を慚愧《ざんき》に堪へないのだ、彼は今や小松内府の窮境に在《あ》るのだ、今頃は、君、自宅《うち》の書斎で涙に暮れて祈つてるヨ」
「左様《さう》か知ラ」と井上は首を傾けしが、俄《にはか》にノゾき込んで声打ちひそめ「君、僕は昨夜《ゆうべ》からの疑問だがネ
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