さへ甘んじて敬愛尊信した彼は――諸君、――売節漢であつた、疑《うたがひ》もなき間諜《かんてふ》であつた」
「間諜《かんてふ》ツ」と一人は吾妻を睨《にら》めり、
「馬鹿ツ」と他の一人ほ冷然微笑せり、
 一同の吾妻の言に取り合はざるに、彼は悄然《せうぜん》として落涙せり「アヽ、諸君、――僕の言を借用なさらぬは、必竟《ひつきやう》僕が平素の不徳に依るですから、已《や》むを得ないです、が、先生を間諜《かんでふ》と認めたのは、僕の観察では無い、先生とは最も密接の関係ある鍛工《かぢこう》組合が調査の結果、昨夜の臨時総会に於《おい》て満場異存なかつた決議です――」
「ナニ、鍛工組合が決議した――吾妻、又た虚言《うそ》吐《つ》いちや承知せぬぞ」
「騒いぢや可《い》かん、――彼《あ》の松本が例の猜忌《さいき》と嫉妬の狂言なんだらう、馬鹿メ」
 吾妻は目を挙げて「左様《さう》です、若《も》し松本等の主張ならば、僕も驚きは致しませぬ、然《しか》るに彼《あ》の温良なる、寧《むし》ろ温柔の嫌《きらひ》ある浦和武平が、涙を揮《ふる》つて之を宣言したのです、余程正確なる証拠を握つて居るらしいです、昨夜は兎《と》に角
前へ 次へ
全296ページ中193ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
木下 尚江 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング