子嬢サ」
「貴様、真実《ほんたう》か」
と彼《か》の書生は、木立の間《ま》なる新築の屋根を顧《かへり》みつゝ「何《ど》うも不思議だナ、僕は殆《ほとん》ど信ずることが出来んよ」
「懐疑は悲観の児《こ》なりサ、彼女《かれ》芳紀《とし》既に二十二―三、未《いま》だ出頭《しゆつとう》の天《てん》無しなのだ、御所望とあらば、僕|聊《いさゝ》か君の為めに月下氷人《げつかひようじん》たらんか、ハヽヽヽヽヽ」
「然《し》かし、貴様、剛造の様な食慾無情の悪党に、彼《あゝ》いふ令嬢《むすめ》の生まれると云ふのは、理解すべからざることだよ」
「が、剛造などでも、面会して見れば、案外の君子人かも知れないサ」
「そんなことがあるものか」
丸山の塔下を語りつゝ、飯倉《いひくら》の方へと二人は消えぬ、
客去りて車轍《くるま》の迹《あと》のみ幾条《いくすぢ》となく砂上に鮮《あざや》かなる山木の玄関前、庭下駄のまゝ枝折戸《しをりど》開けて、二人の嬢《むすめ》の手を携《たづさ》へて現はれぬ、姉なるは白きフラネルの単衣《ひとへ》に、漆《うるし》の如き黒髪グル/\と無雑作《むざふさ》に束《つか》ね、眼鏡越しに空行く雲静かに仰ぎて、独りホヽ笑みぬ、
今しも書生の門前を噂《うはさ》して過ぎしは、此の女《ひと》の上にやあらん、紫《むらさき》の単衣《ひとへ》に赤味帯びたる髪|房々《ふさ/\》と垂らしたる十五六とも見ゆるは、妹《いもと》ならん、去《さ》れど何処《いづこ》ともなく品格《しな》いたく下《くだ》りて、同胞《はらから》とは殆《ほとん》ど疑はるゝばかり、
「ぢや、姉《ねい》さんは何方《どちら》が好《すき》だと仰《おつ》しやるの」と、妹は姉の手を引ツ張りながら、面《かほ》顰《しか》めて促《うな》がすを、姉は空の彼方《あなた》此方《こなた》眺《なが》めやりつゝ、
「あら、芳《よツ》ちやん、私は好《すき》も嫌《きらひ》も無いと言つてるぢやありませんか」
「けれど姉さん、何方《どつち》かへ嫁《ゆ》くとお定《き》めなさらねばならんでせう、両方へ嫁くわけにはならないんだもん」
「左様《さう》ねエ、ぢや私、両方へ嫁きませうか」と、姉は振り返つて嫣然《につこ》と笑ふ、
「酷《ひど》いワ、姉さん、からかつて」と、妹は白い眼して姉を睨《にら》みつ、じつと身を寄せて又《ま》た取り縋《す》がり「ね、姉さん、松島|様《さん》の
前へ
次へ
全148ページ中4ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
木下 尚江 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング