方にお定《き》めなさいよ、私《わたし》、松島さん大好きだわ、海軍大佐ですつてネ、今度|露西亜《ロシヤ》と戦争すれば、直《す》ぐ少将におなりなさるんですと――ほんたうに軍人は好《い》いわ、活溌《くわつぱつ》で、其れに陸軍よりも海軍の方が好くてよ、第一|奇麗《きれい》ですものネ、其れでネ、姉さん、昨夜《ゆうべ》も阿父《おとつさん》と阿母《おつかさん》と話して在《いら》しつたんですよ、早く其様《さう》決《き》めて松島様の方へ挨拶《あいさつ》しなければ、此方《こちら》も困まるし、大洞《おほほら》の伯父さんも仲に立つて困まるからつて」
「芳ちやんは軍人がお好きねエ」
「ぢや、姉さんは、あの吉野とか云ふ法学士の方が好いのですか、驚いたこと、彼様《あんな》ニヤけた、頭ばかり下げて、意気地《いくじ》の無い」
「左様《さう》ぢや無いの、芳ちやん」と、姉は静に妹を制しつ
「私《わたし》はネ、誰の御嫁にもならないの」
 妹は眼を円くして打ち仰ぎぬ「――ほんたう」

     一の二

 折柄門の方《かた》に響く足音に、姉の梅子は振り返へりつ、
「長谷川牧師が光来《いら》しつてよ」
 色こそ褪《あ》せたれ黒のフロックコート端然と着なしたる、四十|恰好《かつこう》の浅黒き紳士は莞爾《くわんじ》として此方《こなた》に近《ちかづ》き来《きた》る、是《こ》れ交際家として牧師社会に其名を知られたる、永阪教会の長谷川|某《なにがし》なり、
 妹の芳子は頬《ほほ》膨《ふく》らし、
「厭《いや》な奴ツ」とツブやくを、梅子は「あら」と小声に制しつ、
 牧師は額の汗|拭《ぬぐ》ひも敢《あ》へず、
「これは/\、御揃《おそろ》ひで御散歩で在《い》らつしやいまするか、オヽ、『黒』さんも御一緒ですか」と、芝生に横臥《わうぐわ》せる黒犬にまで丁重に敬礼す、是れなん其仁《そのじん》、獣類にまで及べるもの乎《か》、
「エヽ、本日《けふ》罷《まか》り出でまする様《やう》と、御父上から態々《わざ/\》のお使に預りまして」と、牧師は梅子の前に腰打ち屈《かが》めつ「甚《はなは》だ遅刻致しまして御座りまするが、御在宅で在《い》らせられまするか」
 妹嬢《いもとむすめ》は黙つて何処《いづこ》へか去《い》つて仕舞ひぬ、
「御光来《おいで》を願ひましたさうで御座いまして、誠に恐れ入りました」と、梅子の言ふを、
「イエ、なに、態々《わざ/
前へ 次へ
全148ページ中5ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
木下 尚江 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング