ないんですか――」
「そんなに急ぐのかネ、花ちやん、たまのことだから、少しは遊んで行つても可《い》いでせう、外の処《とこ》ぢや無いもの」
 黙つてお花は頭《かしら》を振り「明日の正午までには是非|帰館《かへ》らねばなりませんの」
 ガラリ、格子戸《かうしど》鳴りて、大和は帰り来れり「やア、花ちやん、来《いら》つしやい、待つてたんだ、二三日、先生が御不在ので、寂しくて居た所なんだ」
「貴郎《あなた》までが、――そんナ――」とお花は泣きも出《い》でなんばかり、

     二十五の二

 晩餐を果てて、三人燈下に物語りつゝあり、「何だか、阿母《おつかさん》、先生が御不在と思《お》もや、其処《そこ》いらが寂しいのねエ」と、お花は、篠田の書斎の方《かた》顧《かへり》みつゝ、
「ほんとにねエ、在《いら》しつたからとて、是《こ》れと云ふ別段のことあるでも無いのだけれど」と、兼吉の老母も首肯《うなづ》きつ、
「本当に私、申訳ないと思ひますワ」と、お花は急に思ひ出したるらしく「先生が私を御世話なすつて下さるのを、世間では彼此《かれこれ》申すさうぢやありませんか、私ヤ、何《ど》うせ斯様《かう》した躯《からだ》なんですから、ちつとも関《かま》やしませぬけれど、其れぢや、先生に御気の毒ですものねエ」
「なアに、花ちやん」と、大和《おほわ》は番茶|呑《の》み干しつゝ、事も無げに笑ひて、「其様《そんな》ことは先生に取つて少しも珍らしく無いのだ、此頃は尚《ま》だ酷《ひど》い風評《うはさ》が立つてるんだ――山木の梅子さんて令嬢《かた》と、先生が結婚しなさるんだツて云ふんでネ、是れには先生も少こし迷惑して居なさる様なんだ、皆《みん》な先生を毀《きずつ》けようとする者の卑劣な策略なんだから、花ちやん、左様《さう》心配しなさるに及ばないよ」
「左様でせうか」
「けれど大和さん」と老母は顔差し出し「ツイ此頃も、其の山木のお嬢様とやらの弟御《おとゝご》さんが御来《おいで》になつたで御座んせう、チラと御聞きしただけですから能《よ》くは解りませんけれど、其の御姉《おあねえ》さんが何《どう》してもお嫁に行かないと仰しやるんで、トド、何か大変なことでも出来《しゆつたい》したと云ふ様な御話で御座んしたよ」
「ウム、彼《あ》の松島の一件か」と、大和は例の無頓着《むとんちやく》に言ひ捨てしが、忽《たちま》ち心着きてや両
前へ 次へ
全148ページ中128ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
木下 尚江 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング