之を機会に梅子は椅子《いす》を離れつ「失礼」と一揖《いちいふ》して温柔《しとや》かに出で行けり、

     十七の二

 第五号教室のピヤノの側《わき》に人待ち顔なる大丸髷《おほまるまげ》の若き婦人は、外務書記官菅原道時の妻君銀子なり、扉しとやかに開かれて現はれたる美しき姿を見るより早く、嬉しげに立ち上がりつ、「オヽ梅子さん」
「銀子さん」
 相見て嫣然《えんぜん》、膝《ひざ》つき合はして椅子《いす》に座せり、
「梅子さん、ほんとに久濶《しばらく》ですことねエ、私、貴嬢《あなた》に御目に懸《かゝ》りたくてならなかつたんですよ、手紙でとも思ひましたけれどもね、其れでは何《どう》やら物足らない心地《こゝち》しましてネ――今日も少こし他に用事があつたんですけれども、多分、貴嬢が御来会《おいで》になると思ひましたからネ、差繰つて参りましたの」
「私《わたし》もネ、銀子さん、此頃|切《しき》りに貴女《あなた》が懐《なつか》しくて堪らないで居ましたの、寧《いつ》そ御邪魔に上らうかと考へましたけれどネ、外交のことが困難《むつかし》いさうですから、菅原様も定めて御多用で在《いら》つしやらうし、貴嬢《あなた》にしても矢張《やつぱ》り御屈托で在《いら》つしやらうと遠慮しましてネ」
「あら、梅子さん、いやですことねエ、――結婚すると御友達と疎遠になるなんて皆様仰しやるんですけれど、貴嬢まで矢張《やつぱり》其様事《そんなこと》を仰つしやらうとは思ひも寄りませんでしたよ」
「銀子さん、左様《さう》ぢやありませんよ」
 銀子は熟々《つくづく》と梅子の面《かほ》打ちまもり居たりしが「梅子さん、貴嬢《あなた》はほんとに御憔悴《おやつれ》なすツたのねエ、如何《どうか》なすつて――」
「否《いゝえ》、別に如何《どう》も致しませんの」
「けども、何か御心配でもおありなさらなくて」
「否《いゝえ》――心配と云ふ程のこともありませんがネ――」
「心配と云ふ程で無くとも、何か御在《おあ》りなさるでせう」
 と銀子は顔差し付けて声打ちひそめ「私《わたし》、貴嬢《あなた》に御聴《おきゝ》せねば安心ならぬことがあるんですよ――梅子さん、貴嬢、ほんとに彼《あ》の海軍の松島|様《さん》と御約束なさいまして――」
 梅子は目を閉ぢて無言なり、
「梅子さん、私《わたし》ネ、其を道時から聴きましても、貴嬢《あなた》か
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