だんちよ》に「藤野さんテ、彼《あ》の華厳滝《けごんのたき》でお死なすつた操《みさを》さんですか」
「左様《さう》です、世間では彼が自殺の原因を、哲学上の疑問に在る如く言ひ囃《はや》しましたが、あれぢや藤野の霊も浮ばれませんよ、――僕は能《よ》ウく彼の秘密を知つてますからネ」
「ぢや、剛さん、何か深い原因《わけ》があつたのですか」
「左様《さう》です、人生の不可解が若《も》し自殺の原因たるべき価値あるならば、地球は忽《たちま》ち自殺者の屍骸《しがい》を以て蔽《おほ》はれねばなりませんよ、人生の不可解は人間が墓に行く迄、片手に提《さ》げてる継続問題ぢやありませんか、其様《そんな》乾燥無味な理窟《りくつ》で、彼《あ》の多感多情の藤野を殺すことは出来ませんよ」
「剛さんとは兄弟の様に親しくて、私《わたし》のことも姉さんと呼んで下だすつたので、ほんたうにお可哀さうだと思つてネ」
「姉さん、藤野は実に可哀さうでした――彼の自殺は失恋の結果なんです」
「エ、――失恋?」
「左様です、彼《か》の『巌頭《がんとう》の感』は失恋の血涙の紀念です、――彼が言ふには、我輩は彼女《かのぢよ》を思ひ浮かべる時、此の木枯《こがらし》吹きすさぶが如き荒涼《くわうりやう》の世界も、忽ち春霞《しゆんか》藹々《あい/\》たる和楽の天地に化する、彼女《かれ》を愛することに依《よつ》て我あるを知ることが出来る、――彼女は即《すなは》ち我が生命であると自白して居ましたよ、そして僕に向《むかつ》て、山木、君は果して理想の佳人が無いかと詰問しますからね、僕は言つて遣《や》つたのです、――山木剛一にも理想の佳人があるツ」
「アラ、剛さん」
「では其人は誰かと聞きますから、僕は藤野に言つたのです――僕の理想の佳人は家《うち》の姉さんである」
「剛さん、マ、何を貴郎《あなた》」と梅子はサツと、面《かほ》を紅《あ》かめぬ、
「姉さん、本当です、――すると藤野も非常に感動して、君は実に幸福だと言ひました、左様です、僕は実に幸福です、御覧なさい、藤野の佳人は忽《たちま》ち他に嫁《とつ》いで仕舞《しま》つたのです、藤野の生命は其時既に奪はれたのです、華厳滝《けごんのたき》へ投げたのは、空蝉《うつせみ》の如き冷たき藤野の屍骸です、去れど姉さん、貴嬢が独身で居なさらうとも、又結婚なさらうとも、僕は永久に貴嬢《あなた》を姉さんと呼ぶ
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