なり、帝《みかど》が即位をあそばされてから十八年になった。
「将来の天子になる子のないことで自分には人生が寂しい。せめて気楽な身の上になって自分の愛する人たちと始終出逢うこともできるようにして、私人として楽しい生活がしてみたい」
 以前からよくこう帝は仰せられたのであったが、重く御病気をあそばされた時ににわかに譲位を行なわせられた。世人は盛りの御代《みよ》をお捨てあそばされることを残念がって歎《なげ》いたが、東宮ももう大人《おとな》になっておいでになったから、お変わりになっても特別変わったこともなかった。ゆるぎない大御代《おおみよ》と見えた。太政大臣は関白職の辞表を出して自邸を出なかった。
「人生の頼みがたさから賢明な帝王さえ御位《みくらい》をお去りになるのであるから、老境に達した自分が挂冠《けいかん》するのに惜しい気持ちなどは少しもない」
 と言っていたに違いない。左大将が右大臣になって関白の仕事もした。御母君の女御《にょご》は新帝の御代を待たずに亡《な》くなっていたから、后《きさき》の位にお上《のぼ》されになっても、それはもう物の背面のことになって寂しく見えた。六条の女御のお生みし
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