のころはした、自分がどんなにみじめであるかは心で問題にせず源氏の君のせめて健在でいることだけを喜んだではないか、その時の悲しみがもとで源氏の君なり自分なりが死んでいたとしたら、それからのち今日までの幸福は享《う》けられなかったのであるともまた思い直されもするのであった。外には風の吹いている夜の冷えで急には眠れない。近くに寝ている女房が寝返りの音を聞いて気をもむことがあるかもしれぬと思うことで、床の中でじっとしているのもまた女王に苦しいことであった。一番|鶏《どり》の声も身に沁《し》んで聞かれた。恨んでばかりいるのでもなかったが、夫人のこんなに苦しんでいたことのあちらへ通じたのか、院は夫人の夢を御覧になった。目がさめて胸騒ぎのあそばされる院は鶏の鳴くのを聞いておいでになって、その声が終わるとすぐに宮の御殿をお出になるのであったが、お若い宮であるために乳母たちが近くにやすんでいて、その人たちが院の妻戸をあけて外へ出られるのをお見送りした。夜明け前のしばらくだけことさらに暗くなる時間で、わずかな雪の光で院のお姿がその人たちに見えるのである。院のお服から発散された香気がまだあとに濃く漂っているのに乳母たちは気づいて「春の夜の闇《やみ》はあやなし梅の花」などとも古歌が思わず口に上りもした。院は所々にたまった雪の色も砂子の白さと差別のつきにくい庭をながめながら対のほうへ向いてお歩きになりながらなお「残れる雪」と口ずさんでおいでになった。対の格子をおたたきになったが、久しく夜明けの帰りなどをあそばされなかったのであったから、女房たちはくやしい気になってしばらく寝入ったふうをしていてやっとあとに格子をお上げした。
「長く外に待たされて、身体《からだ》が冷え通る気がしたのも、それは私の心が済まぬとあなたを恐れる内部のせいで、女房に罪はなかったのかもしれない」
と、院はお言いになりながら、夫人の夜着を引きあけて御覧になると、少し涙で濡《ぬ》れている下の単衣《ひとえ》の袖《そで》を隠そうとする様子が美しく心へお受け取られになった。しかも打ち解けぬものが夫人の心にあって品よく艶《えん》な趣なのである。最高の貴女《きじょ》といっても完全にもののととのわぬ憾《うら》みがあるのにと院は新婦の宮と紫の女王を心にくらべておいでになった。二人が来た道を振り返ってお話しになりながら、恨みの解けぬふうな夫人をなだめて翌日はずっとそばを離れずにおいでになったあとでは、夜になっても宮のほうへお行きになれずに手紙だけをお送りになった。
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今暁《けさ》の雪に健康をそこねて苦しい気がしますから、気楽な所で養生をしようと思います。
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というのであった。乳母《めのと》の、
「そのとおりに申し上げました」
という言葉を使いが聞いて来た。平凡な返事であると院はお思いになった。朱雀《すざく》院がどうお思いになるかということが気がかりであるから、当分はあちらを立てるようにしておきたいと院はお思いになっても、実行に伴う苦痛が堪えがたく、なんということであろうと悲しんでおいでになった。夫人も、
「あちらへ御同情心の欠けたことでございますよ」
と言いつつ自分の立場を苦しんでいた。次の日はこれまでのとおりに自室でお目ざめになって、宮の御殿へ手紙をお書きになるのであった。晴れがましくは少しもお思いにならぬ相手ではあったが、筆を選んで白い紙へ、
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中道を隔つるほどはなけれども心乱るる今朝《けさ》のあは雪
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と書いて、梅の枝へお付けになった。侍をお呼びになって、
「西の渡殿のほうから参って差し上げるように」
とお命じになった。そして院はそのまま縁に近い座敷で庭をながめておいでになった。白い服をお召しになって、梅の枝の残りを手にまさぐっておいでになるのである。仲間を待つ雪がほのかに白く残っている上に新しい雪も散っていた。若やかな声で鶯《うぐいす》が近いところの紅梅の梢《こずえ》で鳴くのがお耳にはいって、「袖《そで》こそ匂《にほ》へ」(折りつれば袖こそ匂へ梅の花ありとやここに鶯ぞ啼《な》く)と口ずさんで、花をお持ちになった手を袖に引き入れながら、御簾《みす》を掲げて外を見ておいでになる姿は、ゆめにも院などという御位《みくらい》の方とは見えぬ若々しさである。寝殿から来るお返事が手間どるふうであったから、院は居室《いま》のほうへおいでになって夫人に梅の花をお見せになった。
「花であればこれだけの香気を持ちたいものですね。桜の花にこの香《かおり》があればその他の花は皆捨ててしまうでしょうね。こればかりがよくなって」
「この花もただ今でこそ唯一の花で、梅はよいものだと思われるのですよ。春の百花の盛りにほかのものと比較したらどうでしょうかしら」
などと夫人が言っている時に、宮のお返事が来た。紅《あか》い薄様《うすよう》に包まれたお文《ふみ》が目にたつので院ははっとお思いになった。幼稚な宮の手跡は当分女王に隠しておきたい。この人に隔て心はないがさげすむ思いをさせることがあっては宮の身分に対して済まないと院はお思いになるのであるが、隠しておしまいになることも夫人の不快がることであろうからと、半分は見せてもよいというようにお拡《ひろ》げになった文《ふみ》を、女王は横目に見ながら横たわっていた。
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はかなくて上《うは》の空にぞ消えぬべき風に漂ふ春のあは雪
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文字は実際幼稚なふうであった。十五にもおなりになればこんなものではないはずであるがと目にとまらぬことでもなかったが、見ぬふりをしてしまった。他の女性のことであれば批評的な言葉も院は口にせられたであろうが御身分に敬意をお払いになって、
「あなたは安心していてよいとお思いなさいよ」
とだけ夫人に言っておいでになった。
今日は昼間に宮のほうへおいでになった。特にきれいに化粧をお施しになった院のお美しさに、この日はじめて近づいた女房は興奮していた。老いた女房などの中には、なんといっても幸福な奥様はあちらのお一方だけで、宮は御不快な目にもおあいになるのであろうと、こんなことを思う者もあった。姫宮は可憐《かれん》で、たいそうなお居間の装飾などとは調和のとれぬ何でもない無邪気な少女《おとめ》で、お召し物の中にうずもれておしまいになったような小柄な姿を持っておいでになるのである。格別恥ずかしがってもおいでにならない。人見知りをせぬ子供のようであつかいやすい気を院はお覚えになった。朱雀《すざく》院は重い学問のほうは奥を究《きわ》めておいでになると言われておいでにならないが、芸術的な趣味の豊かな方としてすぐれておいでになりながら、どうして御愛子をこう凡庸に思われるまでの女にお育てになったかと院は残念な気もあそばされたのであるが、御愛情が起こらないのでもなかった。院のお言いになるままになってなよなよとおとなしい。お返辞なども習っておありになることだけは子供らしく皆言っておしまいになって、自発的には何もおできにならぬらしい。昔の自分であれば厭気《いやき》のさしてしまう相手であろうが、今日になっては完全なものは求めても得がたい、足らぬところを心で補って平凡なものに満足すべきであるという教訓を、多くの経験から得てしまった自分であるから、これをすら妻の一人と見ることができる。第三者は自分のことを好適な配偶を得たと見ることであろうとお考えになると、離れる日もなく見ておいでになった紫の女王《にょおう》の価値が今になってよくおわかりになる気がされて、御自身のお与えになった教育の成功したことをお認めにならずにはおられなかった。ただ一夜別れておいでになる翌朝の心はその人の恋しさに満たされ、しばらくして逢いうる時間がもどかしくお思われになって、院の愛はその人へばかり傾いていった。なぜこんなにまで思うのであろうかと院は御自身をお疑いになるほどであった。
朱雀院はそのうちに御寺《みてら》へお移りになるのであって、このころは御親心のこもったお手紙をたびたび六条院へつかわされた。姫宮のことをお頼みになるお言葉とともに、自分がどう思うかと心にお置きになるようなことはないようにして、ともかくもお心にかけていてくださればよいという意味の仰せがあるのであった。そうは仰せられながらも御幼稚な宮がお気がかりでならぬ御様子が見えるお文《ふみ》であった。紫夫人へもお手紙があった。
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幼い娘が、何を理解することもまだできぬままでそちらへ行っておりますが、邪気のないものとしてお許しになってお世話をおやきください。あなたには縁故がないわけでもないのですから。
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そむきにしこの世に残る心こそ入る山みちの絆《ほだし》なりけれ
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親の心の闇《やみ》を隠そうともしませんでこの手紙を差し上げるのもはばかり多く思われます。
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というのであった。院も御覧になって、
「御同情すべきお手紙ですから、あなたからも丁寧にお返事を書いておあげなさい」
こうお言いになって、そのお使いへは女房を出して酒をお勧めになった。
「どう書いてよろしいのかわかりません。お返事がいたしにくうございます」
と女王は言っていたが、言葉を飾る必要のある場合のお返事でもなかったから、ただ感じただけを、
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そむく世のうしろめたくばさりがたき絆《ほだし》を強《し》ひてかけなはなれそ
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こんな歌にして書いた。女の装束に細長衣《ほそなが》を添えた纏頭《てんとう》をお使いへ出した。女王の書いたお返事の字のりっぱであるのを院は御覧になって、こんなにも物事の整った夫人もある六条院へ、一人の夫人となって幼稚な姫宮が行っておられることを心苦しく思召した。
御出家の際に悲しがった女御《にょご》、更衣《こうい》は院が御寺《みてら》へお移りになることによって、いよいよ散り散りにそれぞれの自邸へ帰るのであったが気の毒な人ばかりであった。尚侍《ないしのかみ》はお崩《かく》れになった皇太后がお住みになった二条の宮へはいって住むことになった。姫宮を心がかりに思召されたのに次いでは尚侍のことを院の帝は顧みがちにされた。
尼になりたい希望を前尚侍は持っていたが、この際それを実行するのは、人を慕って出家をすることで、悟った人のすることでないと院は御忠告をあそばして、ひたすら御自身の御寺の仏像の製作を急がせておいでになった。
六条院はこの朧月夜《おぼろづきよ》の前尚侍と飽かぬ別れをあそばされたまま、今もその時に続いて長い恋をしておいでになり、どんな機会にまた逢《あ》うことができよう、今一度は逢って、その時の血のにじむほど苦しかった心をその人に告げたいと思召されるのであったが、双方とも世間の評のはばかられる身の上でもおありになって、女のためにも重い傷手《いたで》を負わせたあの騒動をお思いになると、積極的な御行動は取れないで院は忍んでおいでになったのであるが、朱雀《すざく》院ともお別れして閑散な独身生活にはいっているそのこと自身がお心を惹《ひ》いて、お逢いになりたくてならないのであった。あるまじいこととはお思いになりながら、ただ友情による手紙と見せて、忘れえぬ熱情をお洩《も》らしになることがたびたびになった。もう青春の男女のように、危険がる必要もないと思っては時々お返事も前尚侍は出した。昔に増してあらゆる点の完成されつつある跡の見える朧月夜の君の手紙がいっそうの魅力になって、昔の中納言の君の所へも、二人の逢う道を開かせようとする手紙を院は常に書いておいでになった。その女の兄である前|和泉守《いずみのかみ》をお呼び寄せになっては、若い日へお帰りになったような相談をされた。
「取り次ぎをもって話をするようなことでなく、そして直接といっても物越しでいいのだが話さねばならぬ用が私にあるのだ。尚侍の承諾
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