った。以前の婿の左大将が御養女の婿として得意な色を見せて、賀宴の主催者になっているのを御覧になる宮は、御不快なことであろうとも思われたが、御孫である左大将家の長男次男は紫夫人の甥《おい》としても、主催者の子としても席上の用にいろいろと立ち働いていた。籠《かご》詰めの料理の付けられた枝が四十、折櫃《おりびつ》に入れられた物が四十、それらを中納言をはじめとして御|親戚《しんせき》の若い役人たちが取り次いで御前へ持って出た。院の御前には沈《じん》の懸盤《かけばん》が四つ、優美な杯の台などがささげられた。朱雀《すざく》院がまだ御全快あそばさないので、この御宴席で専門の音楽者は呼ばれなかった。楽器類のことは玉鬘夫人の実父の太政大臣が引き受けて名高いものばかりが集められてあった。
「この世で六条院の賀宴のほかに、高尚《こうしょう》なものの集まってよい席というものはない筈なのだ」
 と言って、大臣は当日の楽器を苦心して選んだ。それらで静かな音楽の合奏があった。和琴《わごん》はこの大臣の秘蔵して来た物で、かつてこの名手が熱心に弾《ひ》いた楽器は諸人がかき立てにくく思うようであったから、かたく辞退していた右衛門督《うえもんのかみ》にぜひにと弾《ひ》くことを院がお求めになったが、予想以上に巧みに名手の長男は弾いた。どう遺伝があるものとしても、こうまで父の芸を継ぐことは困難なものであるがとだれも感動を隠せずにいた。支那《しな》から伝わった弾き方をする楽器はかえって学びやすいが、和琴はただ清掻《すがが》きだけで他の楽器を統制していくものであるからむずかしい芸で、そしてまたおもしろいものなのである。右衛門督の爪音《つまおと》はよく響いた。一つのほうの和琴は父の大臣が絃《いと》もゆるく、柱《じ》も低くおろして、余韻を重くして、弾いていた。子息のははなやかに音《ね》がたって、甘美な愛嬌《あいきょう》があると聞こえた。これほど上手《じょうず》であるという評判はなかったのであるがと親王がたも驚いておいでになった。琴は兵部卿《ひょうぶきょう》の宮があそばされた。この琴は宮中の宜陽殿《ぎようでん》に納めておかれた御物《ぎょぶつ》であって、どの時代にも第一の名のあった楽器であったが、故院の御代《みよ》の末ごろに御長皇女《おんちょうこうじょ》の一品《いっぽん》の宮が琴を好んでお弾きになったので御下賜あそばされたのを、今日の賀宴のために太政大臣が拝借してきたのである。この楽器によって御父帝の御時のこと、また御姉宮に賜わった時のことが思召されて六条院はことさら身に沁《し》んで音色《ねいろ》に聞き入っておいでになった。兵部卿の宮も酔い泣きがとめられない御様子であった。そして院の御意をお伺いになった上琴を御前へ移された。今夜の御気分からお辞《いな》みになることはできずに院は珍しい曲を一つだけお弾きになった。そんなこともあって大がかりな演奏ではないがおもしろい音楽の夜になったのである。階段《きざはし》の所に声のよい若い殿上人たちの集められたのが、器楽のあとを歌曲に受け、「青柳」の歌われたころはもう塒《ねぐら》に帰っていた鶯《うぐいす》も驚くほど派手《はで》なものになった。主催する人は別にあった宴会ではあるが、院のほうでも纏頭の御用意があって出された。
 夜明けに尚侍は自邸へ帰るのであった。院からのお贈り物があった。
「私はもう世の中から離れた気にもなって、勝手な生活をしていますから、たって行く月日もわからないのだが、こんなに年を数えてきてくだすったことで、老いが急に来たような心細さが感ぜられます。おりおりはどんな老人になったかとその時その時を見比べに来てください。老人でいながら自由に行動のできない窮屈な身の上ということにともかくもなっているのですから、自分の思うとおりに御訪問などができず、お目にかかる機会の少ないのを残念に思います」
 などと院はお言いになって、身にしむことも、恋しい日のこともお思いにならないのではないのに、玉鬘《たまかずら》がたまたま来ても早く去って行こうとするのを物足らず思召すようであった。玉鬘の尚侍も実父には肉親としての愛は持っているが、院のこまやかだった御愛情に対しては、年月に添って感謝の心が深くなるばかりであった。今日の境遇の得られたのも院の恩恵であると思っていた。
 二月の十幾日に朱雀《すざく》院の女三《にょさん》の宮《みや》は六条院へおはいりになるのであった。六条院でもその準備がされて、若菜の賀に使用された寝殿の西の離れに帳台を立て、そこに属した一二の対の屋、渡殿《わたどの》へかけて女房の部屋《へや》も割り当てた華麗な設けができていた。宮中へはいる人の形式が取られて、朱雀院からもお道具類は運び込まれた。その夜の儀装の列ははなやかなものであった。供奉《ぐぶ》者には高官も多数に混じっていた。姫宮を主公として結婚をしたいと望んだ大納言も失敗した恨みの涙を飲みながらお付きして来た。お車の寄せられた所へ六条院が出てお行きになって、宮をお抱きおろしになったことなどは新例であった。天子でおいでになるのではないから入内《じゅだい》の式とも違い、親王夫人の入輿《にゅうよ》とも違ったものである。
 三日の間は御|舅《しゅうと》の院のほうからも、また主人の院からも派手《はで》な伺候者へのおもてなしがあった。紫の女王《にょおう》もこうした雰囲気《ふんいき》の中にいては寂しい気のすることであろうと思われた。夫人は静かにながめていながらも、院との間柄が不安なものになろうとは思わないのであるが、だれよりも愛される妻として動きのない地位をこれまで持った人も、若くて将来の長い内親王が競争者におなりになったのであるから、次第に自分が自分をはずかしめていく気がしないでもない心を、おさえて、おおように姫宮の移っておいでになる前の仕度《したく》なども院とごいっしょになってしたような可憐《かれん》な態度に院は感激しておいでになった。女三の宮はかねて話のあったようにまだきわめて小さくて、幼い人といってもあまりにまでお子供らしいのである。紫の女王を二条の院へお迎えになった時と院は思い比べて御覧になっても、その時の女王は才気が見えて、相手にしていておもしろい少女《おとめ》であったのに、これは単に子供らしいというのに尽きる方であったから、これもいいであろう、自尊心の多過ぎず出過ぎたことのできない点だけが安心であると、院はつとめて善意で見ようとされながらも、あまりに言いがいのない新婦であるとお歎《なげ》かれになった。
 三日の間は続いてそちらへおいでになるのを、今日までそうしたことに馴《な》れぬ女王であったから、忍ぼうとしても底から底から寂しさばかりが湧《わ》いてきた。新婚時代の新郎の衣服として宮のほうへおいでになる院のお召し物へ女房に命じて薫香《たきもの》をたきしめさせながら、自身は物思いにとらわれている様子が非常に美しく感ぜられた。何事があっても自分はもう一人の妻を持つべきではなかったのである。この問題だけを謝絶しきれずに締まりがなく受け入れた自分の弱さからこんな悲しい思いをすることにもなったと、院は御自身の心が恨めしくばかりおなりになって、涙ぐんで、
「もう一晩だけは世間並みの義理を私に立てさせてやると思って、行くのを許してください。今日からあとに続けてあちらへばかり行くようなことをする私であったなら、私自身がまず自身を軽蔑《けいべつ》するでしょうね。しかしまた院がどうお思いになることだか」
 と、お言いになりながら煩悶《はんもん》をされる様子がお気の毒であった。夫人は少し微笑をして、
「それ御覧なさいませ。御自身のお心だってお決まりにならないのでしょう。ですもの、道理のあるのが強味ともいっておられませんわ」
 絶望的にこう女王に言われては、恥ずかしくさえ院はお思われになって、頬杖《ほおづえ》を突きながらうっとりと横になっておいでになった。紫の女王は硯《すずり》を引き寄せて無駄《むだ》書きを始めていた。

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目に近くうつれば変はる世の中を行く末遠く頼みけるかな
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 と書き、またそうした意味の古歌なども書かれていく紙を、院は手に取ってお読みになり夫人の気持ちをお憐《あわれ》みになった。

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命こそ絶ゆとも絶えめ定めなき世の常ならぬ中の契りを
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 こんな歌を書いて、急に立って行こうともされないのを見て、夫人が、
「おそくなっては済みませんことですよ」
 と催促したのを機会に、柔らかな直衣《のうし》の、艶《えん》に薫香《たきもの》の香をしませたものに着かえて院が出てお行きになるのを見ている女王の心は平静でありえまいと思われた。これまでにさらに新婦を得ようとされるらしい気《け》ぶりはあっても、いよいよことが進行しそうな時に反省しておしまいになる院でおありになったから、ただもう何でもなく順調に幸福が続いていくとばかり信じていた末に、世間のものにも自分の位置をあやぶませるようなことが湧《わ》いてきた。永久に不変なものなどはないこうしたこの世ではまたどんな運命に自分は遭遇するかもしれないと女王は思うようになった。表面にこの動揺した気持ちは見せないのであるが、女房たちも、
「意外なことになるものですね。ほかの奥様がたはおいでになってもこちらの奥様の競争者などという自信を持つ方もなくて、御遠慮をしていらっしゃるから無事だったのですが、こんなふうにこの奥様をすら眼中にお置きあそばさないような方が出ていらっしってはどうなることでしょう。だれよりも優越性のある方に劣等者の役はお勤まりにはならないでしょう。そしてまたあちらから申せば、何でもないことに神経をおたかぶらせになるようなこともないとは言われませんから、そこで苦しい争闘が起こって奥様は御苦労をなさるでしょうね」
 などと語って歎《なげ》いているのであったが、少しも気にせぬふうで、機嫌《きげん》よく夫人は皆と話をして夜がふけるまで座敷に出ていたが、女房たちの中にあるそうした空気が外へ知れては醜いように思って言った。
「院には何人もの女性が侍しておられるのだけれど、理想的な御配偶とお認めになるはなやかな身分の人はないとお思いになって、物足らず思召していらっしゃったのだから、宮様がおいでになってこれで完全になったのよ。私はまだ子供の気持ちがなくなっていないと見えて、いっしょに遊んで楽しく暮らしたくばかり思っているのに、皆が私の気持ちを忖度《そんたく》して面倒な関係にしてしまわないかと心配よ。自分と同じほどの人とか、もっと下の人とかには、あの人が自分より多く愛されることは不愉快だというような気持ちは自然起こるものだけれど、あちらは高貴な方で、お気の毒な事情でこうしておいでになったのだから、その方に悪くお思われしたくないと私は努めているのよ」
 中将とか中務《なかつかさ》とかいう女房は目を見合わせて、
「あまりに思いやりがおありになり過ぎるようね」
 ともひそかに言っていた。この人たちは若いころに院の御愛人であったが、須磨《すま》へおいでになった留守中から夫人付きになっていて、皆女王を愛していた。他の夫人の中には、どんなお気持ちがなさることでしょう、愛されない者のあきらめが平生からできている自分らとは違っておいでになったのであるからという意味の慰問をする人もあるので、女王はそんな同情をされることがかえって自分には苦痛になる。無常のこの世にいてそう夫婦愛に執着している自分でもないものと思っていた。あまりに長く寝ずにいるのも人が異様に思うであろうと我と心にとがめられて、帳台へはいると、女房は夜着を掛けてくれた。人から憐《あわれ》まれているとおりに確かに自分は寂しい、自分の嘗《な》めているものは苦《にが》いほかの味のあるものではないと夫人は思ったが、須磨《すま》へ源氏の君の行ったころを思い出して遠くに隔たっていようとも同じ世界に生きておいでになることで心を慰めようとそ
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