までも初めどおりにあなたを愛することが変わらずに、あなたに幸福があるようにとばかりあの人は願っています。昔からある継母《ままはは》話のように、表面だけを賢そうにして継子《ままこ》の世話をする、それはまあよいと見られている母親も、また曲がった心で娘を苦しめている母親も、娘のほうで善意にばかりものを解釈して信頼してやれば、こんな人を憎んでは罪になるという気がして反省するのがありますし、またよい性格の人であれば、継娘《ままこ》に気に入らぬ所はあっても、母として信頼される立場になっては、いつとなく最初の態度を変えるのもあるでしょう。何でもないことに難くせをつけ、愛の皆無な思いやりのない継母でとうてい娘のほうから近づけないのもあるでしょう。私はそうたくさん女の人を知っているのではないが、とにかく私の知っている人で、生まれもよく、婦人としての見識も備わった人で、またそれぞれの長所を持った人でも、自分の娘を託しうる人をその中から選び出すのは困難です。真に心の癖のないよい女性は対のお母様以外にありません。これこそ善良な女性というべきだと私は信じている。善良といっても単にお人よしの締まりのない人は頼みになりません」
と訓《おし》えておいでになるのを聞いていて、紫夫人の偉さが明石にうなずかれた。
「あなただけはその訳もわかる人なのだから、仲よくしてこの方のお世話もいっしょにしてください」
とまた小声で明石へお言いになった。
「ただ今まで仰せにはなりませんが女王様の御好意がよくわかるものでございますから、毎度そのことをお話しいたしております。私を失礼な女と思召《おぼしめ》すのでございましたら、この方をこれほどにお愛しにもならないでございましょうが、自分で片腹痛く存じますまでに私を御同等な人のようにお扱いくださいますから、私は恐縮いたすばかりでございます。何の価値もない私などが亡《な》くなりもしませずいつまでも姫君のおそばにおりますのは、世間の聞こえもよろしくないことと御遠慮がされますのを、女王様の御好意でどうやら邪魔者らしくなくしていられます」
と明石が言うと、
「あなたに尽くす心などはないだろうが、姫君を母として愛する心を今になって分けてもらいたいために譲るところがあるのでしょう。あなたもまた実母の権利を主張なさらないから双方の間が円満にいって、私はこれほど安心のできることはない。ちょっとしたことにもあさはかな邪推などする人が一人でもあれば周囲の人は迷惑するものですからね。あなたがたには欠点がないから私は苦心をすることもない」
この院のお言葉を聞いて、明石は謙遜《けんそん》をしてよかったと思った。院は対のほうへお帰りになった。
「ますます女王《にょおう》様に御愛情が傾くようですね。実際だれよりもすぐれた、あらゆるものを具足した方なのですから、ごもっともだとわれわれでさえ思うというのは幸福な方ですね。宮様を表面だけりっぱなお扱いをなすっても、あちらにおいでになることが多いのですもの、もったいないことともいわれます。御身分から申しても宮様が一段上の方なのですもの」
などと姫君に語りながらも、明石《あかし》はいささか自信を持つことができるのであった。それは姫君を持っていることにおいてである。高貴な方でさえ飽き足らぬ待遇を受けておいでになる夫人の中の一人で、薄い院の御愛情などをとやかく自分などは思うべきでないと、そのことではあきらめができていて、明石の心に悲しく思われるのは深い山へはいった父の入道のことだけであった。尼君も終わりの文《ふみ》に書かれた良人《おっと》の一言を頼みにして、未来の世を考えながらも物思わしくしていた。
源大将は女三の宮をあるいは得られたかもしれぬ立場にいた人であったから、六条院に来ておいでになるのを無関心でいることもできなかった。院の御子としてその御殿へ近づく機会もあって、それとなく観察しているのであったが、ただ若々しくおおようなという点だけのよさがある方のようで、壮麗な六条院の本殿へお住ませになって、今後の例になるまで派手《はで》な御待遇をしておいでになっても、それだけの貴女たる価値のありなしをこの人には疑われた。女房なども落ち着いた年齢の人は少なく、若い美人風、派手な騒ぎをするようなのが数も知れぬほどお付きしていて、歓楽的な空気の横溢《おういつ》しているお住居《すまい》であったから、そんな中に内気なおとなしい人が混じって物思いをしていても軽佻《けいちょう》に騒ぐ仲間に引かれて、それも同じように朗らかなふうをしていたり、毎日幼稚なお遊びの相手ばかりをしている童女の教養なさなどを院は気持ちよくは思召《おぼしめ》さなかったが、一つの趣味の目でものを見ようとされぬ方であったから、それはそれとして許して見ておいでになって、御干渉もあそばさなかった。夫人になられた宮に対してだけはよくお教えになるのであったから、以前よりは少しごりっぱな方らしくおなりになった。そんなことが外聞にも知れてくるのを大将は見て、すぐれた人の少ない世だ、紫の女王がこんなに長い間ごいっしょにおられても、だれにもどんなふうな、どんな女性であるという想像もさせない重々しさがあって、静かに深みのある女であることを願って、またさすがに明朗な態度をとり、他を軽侮せず自身の自尊心を傷つけない用意があると思い、何年かの前に野分《のわき》の夕べに見た面影が忘れがたかった。自身の夫人を愛する心は変わらなかったが、その人は相手にしがいのある優越した女性でなかった。恋人を妻にしたあとの安心した気持ちと、その人ばかりを見ている目の倦怠《けんたい》さで、父君が異なった幾人の夫人を集めておいでになる六条院の生活がうらやましくて、だれも皆自分の妻よりも相手にしておもしろい人のように思われてならないのである。その中で姫宮は御身分からいっても最も若い思い上がった大将などには興味の惹《ひ》かれる御存在ではあったが、表面をお飾りになるだけの愛情以外の何ものもないような院の御待遇がこの人によくわかっていて、あるまじい心を起こしたというでもなしに、お顔の見られる時があればよいとは願っていた。右衛門督《うえもんのかみ》も始終六条院へ参っている人であった。この宮を山の帝《みかど》がどんなにお愛しあそばしたかもくわしく知っていて、御婿選びの時以来この宮に好意を持ち、この求婚者には院の帝も決してもってのほかのこととは仰せられなかったという報は得たのでありながら、宮は六条院へ入嫁されたのを残念に思い、心も傷つけられたほどに苦しんで、今でも衛門督は恋を捨てていなかった。そのころから心安くなった女房によって、宮の御様子を聞くのをはかない慰めにしていたのである。
「やはり対の夫人とは御競争がおできにならないようだ」
と世間の人の噂《うわさ》するのが耳にはいる時、もったいなくても自分の妻に得ておれば、そうした物思いはおさせしなかったはずである。二人とない六条院のようなりっぱな男で自分はないのであるがと、こんなことを言って、始終心安くなっている小侍従という宮の女房を煽動《せんどう》するようなことを言い、無常の世であるから、御出家のお志の深い院が御|遁世《とんせい》になる場合もあったなら、自分は女三の宮を得たいと絶えず思っている右衛門督《うえもんのかみ》であった。
三月ごろの空のうららかな日に、六条院へ兵部卿《ひょうぶきょう》の宮がおいでになり、衛門督もお訪《たず》ねして来た。院はすぐに出てお逢《あ》いになった。
「ひまな私の所などはこの時節などが最も退屈で、気を紛らすことができずに困っていましたよ。どこも皆無事平穏なのですね。今日はどうして暮らしたらいいだろう」
などと院はお言いになって、また、
「今朝《けさ》大将が来ていたのだがどこにいるだろう。慰めに小弓でも射させたく思っている時にちょうどそれのできる人たちもまた来ていたようだったが、もう皆出て行ったのだろうか」
近侍にこうお聞きになった。大将は東の町の庭で蹴鞠《けまり》をさせて見ているという報告をお聞きになって、
「乱暴な遊びのようだけれど、見た目に爽快《そうかい》なものでおもしろい」
とお言いになり、
「こちらへ来るように」
と、院が大将を呼びにおやりになると、すぐに庭で蹴鞠をしていた人たちはこちらへ来た。若い公達《きんだち》が多かった。
「鞠もこちらへ持って来ましたか。だれとだれがあちらへ来ているのか」
大将の所にいた官人たちの名があげられ、
「それもこちらへ来させましょうか」
と大将は父君へ申した。寝殿の東側になった座敷には桐壺《きりつぼ》の方《かた》がいたのであるが、若宮をお伴いして東宮へ参ったあとで、そこは空《あ》き間になっていて静かだった。蹴鞠の人たちは流水を避けて競技によい場所を求めて皆庭へ出た。太政大臣家の公達は頭弁《とうのべん》などという成年者も兵衛佐《ひょうえのすけ》、太夫《たゆう》の君などという少年上がりの人も混じって来ているが、他に比べて皆|風采《ふうさい》がきれいであった。時間がたち日暮れになるまで、この競技に適して風も出ないよい日だと皆言って庭上の遊びは続いていたが、頭弁も闘志がおさえられなくなったらしくその中へ出て行った。
「文官の誇りにする弁さえ傍観していられないのだから、高官になっていても若い衛府《えふ》の人などはおとなしくしている必要もない。私の青春時代にもそうしたことの仲間にはいりえないのが残念に思われたものだ。しかし軽々しく人を見せるね、この遊びは」
院がお勧めになるので、大将も衛門督も皆出て、美しい桜の蔭《かげ》を行き歩いていたこの夕方の庭のながめはおもしろかった。あまり静かでないこの遊戯であるが、乱暴な運動とは見えないのも所がら人柄によるものなのであろう。趣のある庭の木立ちのかすんだ中に花の木が多く、若葉の梢《こずえ》はまだ少ない。遊び気分の多いものであって、鞠の上げようのよし悪しを競って、われ劣らじとする人ばかりであったが、本気でもなく出て混じった衛門督《えもんのかみ》の足もとに及ぶ者はなかった。顔がきれいで風采の艶《えん》なこの人は十分身の取りなしに注意して鞠を蹴り出すのであったが、自然にその姿の乱れるのも美しかった。正面の階段《きざはし》の前にあたった桜の木蔭で、だれも花のことなどは忘れて競技に熱中しているのを、院も兵部卿の宮も隅《すみ》の所の欄干によりかかって見ておいでになった。それぞれ特長のある巧みさを見せて勝負はなお進んでいったから、高官たちまでも今日はたしなみを正しくしてはおられぬように、冠の額を少し上へ押し上げたりなどしていた。大将も官位の上でいえば軽率なふるまいをすることになるが、目で見た感じはだれよりも若く美しくて、桜の色の直衣《のうし》の少し柔らかに着|馴《な》らされたのをつけて、指貫《さしぬき》の裾《すそ》のふくらんだのを少し引き上げた姿は軽々しい形態でなかった。雪のような落花が散りかかるのを見上げて、萎《しお》れた枝を少し手に折った大将は、階段《きざはし》の中ほどへすわって休息をした。衛門督が続いて休みに来ながら、
「桜があまり散り過ぎますよ。桜だけは避けたらいいでしょうね」
などと言って歩いているこの人は姫宮のお座敷を見ぬように見ていると、そこには落ち着きのない若い女房たちが、あちらこちらの御簾《みす》のきわによって、透き影に見えるのも、端のほうから見えるのも皆その人たちの派手《はで》な色の褄袖口《つまそでぐち》ばかりであった。暮れゆく春への手向けの幣《ぬさ》の袋かと見える。几帳《きちょう》などは横へ引きやられて、締まりなく人のいる気配《けはい》があまりにもよく外へ知れるのである。
支那《しな》産の猫《ねこ》の小さくかわいいのを、少し大きな猫があとから追って来て、にわかに御簾《みす》の下から出ようとする時、猫の勢いに怖《おそ》れて横へ寄り、後ろへ退《の》こうとする女房の衣《きぬ》ずれの音がやかましいほど外へ聞こえた。この猫はまだあまり人になつかないので
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