を送ったのですが、にわかにあなたの境遇が変わって、私もそれといっしょに捨てた世の中へ帰り、あなたがたが幸福に恵まれるのを目に見ては喜びながらも、一方では別れ別れになっている寂しさ、たよりなさを常に思って悲しんでいましたが、とうとう遠く隔たったままでお別れしてしまったのが残念に思われます。若い時代のあの方も人並みな処世法はおとりにならずに、風変わりな人だったが、縁あって若い時から愛し合った二人の中には深い信頼があったものですよ。どうしてこの世の中でいながら逢《あ》うことのできない所へあの方は行っておしまいなすったのだろう」
と言って泣いた。夫人も非常に泣いた。
「こうお言いになっても、すばらしい将来などというものが私にあるものですか。価値《ねうち》のない私がどうなりうるものでもないのですから、私を愛してくだすったお父様にお目にかかることもできずにいるこの悲しみにそれは代えられるほどのものと思われませんが、私たちは幸福な姫君をこの世にあらしめるために、悲しい思いも科せられているものと思うよりほかはありません。そんなふうにして山へおはいりになっては、無常のこの世ですもの、知らぬまにおかくれになるようなことになっては悲しゅうございますね」
とも言い、夜通し尼君と入道の話をしていた。
「昨日は私のあちらにいますのを院が見ていらっしゃったのですから、にわかに消えたようにこちらへ来ていましては、軽率に思召《おぼしめ》すでしょう。私自身のためにはどうでもよろしゅうございますが、姫君に累を及ぼすのがおかわいそうで自由な行動ができませんから」
こう言って夫人は夜明けに南の町へ行くのであった。
「若宮はいかがでいらっしゃいますか。お目にかかることはできないものですかね」
このことでも尼君は泣いた。
「そのうち拝見ができますよ。姫君もあなたを愛しておいでになって、時々あなたのことをお話しになりますよ。院もよく何かの時に、自分らの希望が実現されていくものなら、そんなことを不安に思っては済まないが、なるべくは尼君を生きさせておいてみせたいと仰せになりますよ。御希望とはどんなことでしょう」
と夫人が言うと、尼君は急に笑顔《えがお》になって、
「だから私達の運命というものは常識で考えられない珍しいものなのですよ」
とよろこぶ。手紙の箱を女房に持たせて明石は淑景舎《しげいしゃ》の方《かた》の所へ帰った。
東宮から早く参るようにという御催促のしきりにあるのを、
「ごもっともですわね。若宮様もいらっしゃるのですもの、どんなに早くお逢《あ》いあそばしたいでしょう」
と紫夫人も言って、院は若宮を東宮へお上《のぼ》らせする用意をしておいでになった。桐壺の方は退出のお許しが容易に得られなかったのに懲りて、この機会に今しばらく実家の人になっていたい気持ちでいるのである。小さい身体《からだ》で女の大難を経てきたのであったから、少し顔が痩《や》せ細って非常に艶《えん》な姿になっていた。
「はっきりとなさいませんから、もう少しこちらで御養生をなさいますほうがいいと思います」
と言うのは明石夫人の意見であった。
「少し細られたこの姿をお目にかけるのはかえってまたよい結果のあるものなのだ」
などと院は言っておいでになるのである。明石は紫の女王《にょおう》などが対へ帰ったあとの静かな夕方に、姫君のそばへ来て、文書のはいった沈《じん》の木箱を見せ、入道のことを語るのであった。
「すべてのことが成り終わりますまでは、こんな物をお目にかけないほうがいいのかもしれませんが、人の命は無常なものでございますからね。何も御承知にならぬうちに私が亡《な》くなりますことがありましても、必ずしも臨終にあなた様のおいでがいただける身の上でもございませんから、とにかく健在なうちにこうしたこともお聞かせしておくほうがよいと存じまして、それに字が悪くて読みにくいものでございますがこの手紙もお見せすることにいたしましたから、御覧なさいませ。この箱の中の願文《がんもん》はお居間の置き棚《だな》などへしまってお置きになりまして、何をなさることも可能な時がまいりましたら、これに書かれてございます神様などへ入道がいたしました願のお酬《むく》いをなすってくださいませ。他人にはお話をなさらないほうがよろしゅうございます。私はもうあなたのお身の上で何が不安ということもなくなったのでございますから、尼になりたい気がしきりにいたすのでございまして、長くお世話を申し上げることはできないでございましょう。あなたは対のお母様の御恩をお忘れになってはいけませんよ。ありがたい方でございます。拝見いたしまして、ああしたりっぱな人格の方は必ず命も長くお恵まれになるだろうと思っております。あなたとごいっしょにおりますことはあなたの幸福でないと私が思いまして、はじめて女王様にあなたをお譲り申し上げました時には、これほどまでの愛をあなたにお持ちになることは想像できませんで、それ以後もただ世間並みのよいといわれる継母《ままはは》ぐらいのことと思いましたが、あの方の御愛情はそんなものではありませんでした。あの方にお任せいたしますほど安心なことはないとよく私はわかったのでございます」
などと明石は淑景舎《しげいしゃ》に言った。姫君は涙ぐんで聞いていた。実母に対しても打ち解けたふうができず、おとなしくものの多く言われない姫君なのである。入道の手紙は若い心に無気味なこわい気のされるようなことが、古檀紙の分厚い黄色がかった、それでも薫物《たきもの》の香の染《し》んだのへ五、六枚に書かれてあるのを、姫君は身にしむふうで読んでいて額髪が涙にぬれていく様子が艶《えん》であった。
院は女三《にょさん》の宮《みや》のお座敷のほうにおいでになったのであるが、中の戸をあけてにわかにこちらへお見えになったのを知って、明石夫人は急なことで姫君の前に出された文書類を隠すことができず、几帳《きちょう》を少し前のほうへ引き寄せ、自身もその蔭《かげ》へ姿を隠してしまった。
「若宮が私の足音でお目ざめになりませんでしたか。しばらくでも見ずにいては恋しいものだから」
と院がお言いになっても姫君は黙っているのを見て、明石が、
「対へおつれになったのでございます」
と言った。
「けしからんね、若宮をわが物顔にして懐中《ふところ》からお放ししないのだから。始終自身の着物をぬらして脱ぎかえているのですよ。軽々しく宮様をあちらへおやりするようなことはよろしくない。こちらへ拝見に来ればいいではないか」
「思いやりのないことを仰せになります。内親王様であってもあの女王様に御養育おされになるのがふさわしいことと存じられますのに、まして男宮様は、そんなに尊貴でおありあそばしても、あちこちおつれ申すほどのことが何でございましょう。御冗談《ごじょうだん》にでも女王様のことをそんなふうにおっしゃってはよろしくございません」
明石夫人はこう抗弁した。院はお笑いになって、
「ではもうあなたがたにお任せきりにすべきだね。このごろはだれからも私は冷淡に扱われる。今のようなたしなめを言ったりする人もある。そうじゃありませんか、こんなに顔を隠していて、私を悪くばかり」
と、お言いになって、几帳を横へお引きになると、明石は清い顔をして中の柱に品よくよりかかっているのであった。先刻《さっき》の箱もあわてて隠すのが恥ずかしく思われてそのままにしてあった。
「何の箱ですか。恋する男が長い歌を詠《よ》んで封じて来たもののような気がする」
院がこうお言いになると、
「いやな御想像でございますね。御自身がお若返りになりましたので、私どもさえまで承ったこともないような御冗談をこのごろは伺います」
と明石は言って微笑を見せていたが、悲しそうな様子は瞭然《りょうぜん》とわかるのであったから、不思議にお思いになるふうのあるのに困って、明石が言った。
「あの明石の岩窟《いわや》から、そっとよこしました経巻とか、まだお酬《むく》いのできておりません願文の残りとかなのでございますが、姫君にも昔のことをお話しする時があれば、これもお目にかけたらどうかと申してもまいっているのでございますが、ただ今はまだそうしたものを御覧なさいます時期でもないのでございますから、お手をおつけになりません」
お聞きになって、娘と母に悲しい表情の見えるのももっともであるとお思いになった。
「あれ以後ますます深い信仰の道を歩んでおいでになることであろう。長命をされて長い間のお勤めが仏にできたのだから結構だね。世間で有名になっている高僧という者もよく観察してみると、俗臭のない者は少なくて、賢い点には尊敬の念も払われるが、私には飽き足らず思われる所がある、あの人だけはりっぱな僧だと私にも思われる。僧がらずにいながら、心持ちはこの世界以上の世界と交渉しているふうに見えた人ですよ。今ではまして係累もなくなって、超然としておられるだろうあの人が想像される。手軽な身分であればそっと行って逢《あ》いたい人だ」
院はこうお言いになった。
「ただ今はもうあの家も捨てまして、鳥の声もせぬ山へはいったそうでございます」
「ではその際に書き残されたものなのだね。あなたからもたよりはしていますか。尼さんはどんなに悲しんでおいでになるだろう。親子の仲とはまた違った深い愛情が夫婦の仲にはあるものだからね」
院も涙ぐんでおいでになった。
「あれからのちいろいろな経験をし、いろいろな種類の人にも逢《あ》ったが、昔のあの人ほど心を惹《ひ》く人物はなくて、私にも恋しく思われる人なのだから、そんなことがあれば夫婦であった尼君の心はいたむことだろう」
ともお言いになる院に、入道の夢の話をお思い合わせになることがあろうもしれぬと明石夫人はその手紙を取り出した。
「変わった梵字《ぼんじ》とか申すような字はこれに似ておりますが読みにくい字で書かれましたものでも御参考になることが混じっているようでございますからお目にかけます。昔の別れにももう今日のあることを申しておりまして、あきらめたつもりでおりましても、やはりまた悲しゅうございます」
と言い、感じの悪くない程度に泣いた。院は手にお取りになって、
「りっぱじゃありませんか。老いぼけてなどいないいい字だ。どんな芸にも達しておられて、尊敬さるべき人なのだが、処世の術だけはうまくゆかなかった人だね。あの人の祖父の大臣は賢明な政治家だったのが、ある一つのことで失敗をされたために、その報いで子孫が栄えないなどと言う人もあったが、女系をもってすれば繁栄でないとは言われなくなったのも、あの人の信仰が御仏《みほとけ》を動かしたといってよいことですね」
などと言い、涙をぬぐいながら読んでおいでになったが、夢の話の所はことに院の御注意を惹《ひ》いた。常人の行ないができずに、むやみに思い上がった望みを持つ男であると人の批難を受け、自分なども非常識に狂気じみて結婚を強要する人だと疑って思っていたことも、姫君が生まれてきたことで、前生の因縁がかくあった間柄であると認めたのであるが、なおそれ以外の未来にどんな望みを入道が持っているかは知らずにいたが、これで見れば初めから君王の母がその家から出る確信があったらしい。冤罪《えんざい》を蒙《こうむ》って漂泊してまわる運命を自分が負ったことも、この姫君が明石で生まれるためなのであった。神仏にかけた願はどんなものであったのであろうと、心で拝をなされながらその箱を院はお取りになった。
「これといっしょにあなたに見せておきたいものもありますから、またそのうち私からもお話しすることにしよう」
と院は姫君へお言いになった。そのついでに、
「もうあなたは自分の生まれてきた事情を明らかに知ることができたでしょうが、あちらのお母様の好意をおろそかに思ってはなりませんよ。真実の親子、肉身の仲でなくて、他人が少しでも愛してくれ、親切にしてくれるのはありがたいことだと思わなければならない。まして実母があなたのそばへ来たあと
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