》を持って言っていた。
「これを姫君に差し上げてください。膳《ぜん》や食器なども寄せ集めのもので、まったく失礼なのです」
右近はこれを聞いていて、隣にいる人は自分らの階級の人ではないらしいと思った。幕の所へ寄ってのぞいて見たが、その男の顔に見覚えのある気がした。だれであるかはまだわからない。豊後介のごく若い時を知っている右近は、肥えて、そうして色も黒くなっている人を今見て、直ぐには思い出せないのである。
「三条、お召しですよ」
と呼ばれて出て来る女を見ると、それも昔見た人であった。昔の夕顔夫人に、下の女房ではあったが、長く使われていて、あの五条の隠れ家にまでも来ていた女であることがわかった右近は、夢のような気がした。主人である人の顔を見たく思っても、それはのぞいて見られるようなふうにはしていなかった。思案の末に右近は三条に聞いてみよう、兵藤太《ひょうとうだ》と昔言われた人もこの男であろう、姫君がここにおいでになるのであろうかと思うと、気が急いで、そしてまた不安でならないのであった。幕の所から三条を呼ばせたが、熱心に食事をしている女はすぐに出て来ないのを右近は憎くさえ思ったが、それは勝手すぎた話である。やっと出て来た。
「どうもわかりません。九州に二十年も行っておりました卑しい私どもを知っておいでになるとおっしゃる京のお方様、お人違いではありませんか」
と言う。田舎《いなか》風に真赤《まっか》な掻練《かいねり》を下に着て、これも身体《からだ》は太くなっていた。それを見ても自身の年が思われて、右近は恥ずかしかった。
「もっと近くへ寄って私を見てごらん。私の顔に見覚えがありますか」
と言って、右近は顔をそのほうへ向けた。三条は手を打って言った。
「まああなたでいらっしゃいましたね。うれしいって、うれしいって、こんなこと。まああなたはどちらからお参りになりました。奥様はいらっしゃいますか」
三条は大声をあげて泣き出した。昔は若い三条であったことを思い出すと、このなりふりにかまわぬ女になっていることが右近の心を物哀れにした。
「おとど[#「おとど」に傍点]さんはいらっしゃいますか。姫君はどうおなりになりました。あてき[#「あてき」に傍点]と言った人は」
と、右近はたたみかけて聞いた。夫人のことは失望をさせるのがつらくてまだ口に出せないのである。
「皆、いらっしゃいます。姫君も大人《おとな》になっておいでになります。何よりおとど[#「おとど」に傍点]さんにこの話を」
と、言って三条は向こうへ行った。九州から来た人たちの驚いたことは言うまでもない。
「夢のような気がします。どれほど恨んだかしれない方にお目にかかることになりました」
おとど[#「おとど」に傍点]はこう言って幕の所へ来た。もうあちらからも、こちらからも隔てにしてあった屏風《びょうぶ》などは取り払ってしまった。右近もおとど[#「おとど」に傍点]も最初はものが言えずに泣き合った。やっとおとど[#「おとど」に傍点]が口を開いて、
「奥様はどうおなりになりました。長い年月の間夢にでもいらっしゃる所を見たいと大願を立てましたがね、私たちは遠い田舎の人になっていたのですからね、何の御様子も知ることができません。悲しんで、悲しんで、長生きすることが恨めしくてならなかったのですが、奥様が捨ててお行きになった姫君のおかわいいお顔を拝見しては、このまま死んでは後世《ごせ》の障《さわ》りになると思いましてね、今でもお護《も》りしています」
おとど[#「おとど」に傍点]の話し続ける心持ちを思っては、昔あの時に気おくれがして知らせられなかったよりも、幾倍かのつらさを味わいながらも、絶体絶命のようになって、右近は、
「お話ししてもかいのないことでございますよ。奥様はもう早くお亡《かく》れになったのですよ」
と言った。三条も混ぜて三人はそれから咽《む》せ返って泣いていた。
日が暮れたと騒ぎ出し、お籠《こも》りをする人々の燈明が上げられたと宿の者が言って、寺へ出かけることを早くと急がせに来た。そのために双方ともまだ飽き足らぬ気持ちで別れねばならなかった。
「ごいっしょにお詣《まい》りをしましょうか」
とも言ったが、双方とも供の者の不思議に思うことを避けて、おとど[#「おとど」に傍点]のほうではまだ豊後介にも事実を話す間がないままで同時に宿坊を出た。右近は人知れず九州の一行の中の姫君の姿を目に探っていた。そのうちに美しい後ろ姿をした一人の、非常に疲労した様子で、夏の初めの薄絹の単衣《ひとえ》のような物を上から着て、隠された髪の透き影のみごとそうな人を右近は見つけた。お気の毒であるとも、悲しいことであるとも思ってながめたのである。少し歩き馴《な》れた人は皆らくらくと上の御堂《みどう》へ着い
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