源氏物語
玉鬘
紫式部
與謝野晶子訳
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)頬《ほ》の
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)三日|参籠《さんろう》する
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)[#地から3字上げ]
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[#地から3字上げ]火のくににおひいでたれば言ふことの
[#地から3字上げ]皆恥づかしく頬《ほ》の染まるかな(晶子)
年月はどんなにたっても、源氏は死んだ夕顔のことを少しも忘れずにいた。個性の違った恋人を幾人も得た人生の行路に、その人がいたならばと遺憾に思われることが多かった。右近は何でもない平凡な女であるが、源氏は夕顔の形見と思って庇護するところがあったから、今日では古い女房の一人になって重んぜられもしていた。須磨《すま》へ源氏の行く時に夫人のほうへ女房を皆移してしまったから、今では紫夫人の侍女になっているのである。善良なおとなしい女房と夫人も認めて愛していたが、右近の心の中では、夕顔夫人が生きていたなら、明石《あかし》夫人が愛されているほどには源氏から思われておいでになるであろう、たいした恋でもなかった女性たちさえ、余さず将来の保証をつけておいでになるような情け深い源氏であるから、紫夫人などの列にははいらないでも、六条院へのわたましの夫人の中にはおいでになるはずであるといつも悲しんでいた。西の京へ別居させてあった姫君がどうなったかも右近は知らずにいた。夕顔の死が告げてやりにくい心弱さと、今になって相手の自分であったことは知らせないようにと源氏から言われたことでの遠慮とが、右近のほうから尋ね出すことをさせなかった。そのうちに、乳母《めのと》の良人《おっと》が九州の少弐《しょうに》に任ぜられたので、一家は九州へ下った。姫君の四つになる年のことである。乳母たちは母君の行くえを知ろうといろいろの神仏に願を立て、夜昼泣いて恋しがっていたが何のかいもなかった。しかたがない、姫君だけでも夫人の形見に育てていたい、卑しい自分らといっしょに遠国へおつれすることを悲しんでいると父君のほうへほのめかしたいとも思ったが、よいつてはなかった。その上母君の所在を自分らが知らずにいては、問われた場合に返辞《へんじ》のしようもない。よく馴染《なじ》んでおいでにならない姫君を、父君へ渡して立って行くのも、自分らの気がかり千万なことであろうし、話をお聞きになった以上は、いっしょにつれて行ってもよいと父君が許されるはずがないなどと言い出す者もあって、美しくて、すでにもう高貴な相の備わっている姫君を、普通の旅役人の船に乗せて立って行く時、その人々は非常に悲しがった。幼い姫君も母君を忘れずに、
「お母様の所へ行くの」
と時々尋ねることが人々の心をより切なくした。涙の絶え間もないほど夕顔夫人を恋しがって娘たちの泣くのを、
「船の旅は縁起を祝って行かなければならないのだから」
とも親たちは小言《こごと》を言った。美しい名所名所を見物する時、
「若々しいお気持ちの方で、お喜びになるでしょうから、こんな景色《けしき》をお目にかけたい。けれども奥様がおいでになったら私たちは旅に出てないわけですね」
こんなことを言って、京ばかりの思われるこの人たちの目には帰って行く波もうらやましかった。心細くなっている時に、船夫《かこ》たちは荒々しい声で「悲しいものだ、遠くへ来てしまった」という意味の唄《うた》を唄う声が聞こえてきて、姉妹《きょうだい》は向かい合って泣いた。
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船人もたれを恋ふるや大島のうら悲しくも声の聞こゆる
来《こ》し方も行方《ゆくへ》も知らぬ沖に出《い》でてあはれ何処《いづこ》に君を恋ふらん
[#ここで字下げ終わり]
海の景色を見てはこんな歌も作っていた。金《かね》の岬《みさき》を過ぎても「千早《ちはや》振る金の御崎《みさき》を過ぐれどもわれは忘れずしがのすめ神」という歌のように夕顔夫人を忘れることができずに娘たちは恋しがった。少弐一家は姫君をかしずき立てることだけを幸福に思って任地で暮らしていた。夢などにたまさか夕顔の君を見ることもあった。同じような女が横に立っているような夢で、その夢を見たあとではいつもその人が病気のようになることから、もう死んでおしまいになったのであろうと、悲しいが思うようになった。
少弐は任期が満ちた時に出京しようと思ったが、出京して失職しているより、地方にこのままいるほうが生活の楽な点があって、思いきって上京することもようしなかった。その間に当人は重い病気になった。少弐は死ぬまぎわにも、もう十歳《とお》ぐらいになっていて、非常に美しい姫君を見て、
「私までもお見捨てすることになれば、どんなに御苦労をなされることだろう、卑しい
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