が、どういふ事跡を持たれてゐるのか、僅に古事記、日本書紀、出雲、播磨、伊豆、伊予等各地風土記に現れた簡素な筆によつて、それが大国主命の補佐者であり、蒙昧を開拓して各地を巡遊されたといふ事位しか判然してゐない。
 最近この大洲の町をとり囲む――それがやがて口碑にいふ所の少名彦命の陵を中心にして――神南備《かんなんび》山、如法寺山《ねほうじやま》、柳瀬山、高山に出雲民族の特性とも見らるゝ巨石文化――巨石をまつり、そを神聖視する祭壇的設備――の遺跡を、余りに著るしい数で発見した。
 この巨石文化の発見は、当然少名彦命の口碑と結びつくべき運命である。大洲を中心とする一区画が巨石文化の宝庫であり、他に比類のない盛容であるのは、神代当時の重要地域および重要人物との関聯をも裏書きするのである。
 少名彦命の神陵も、この傍系によつて確認されなければならない。
 肱川の上流、菅田のほとり、荒瀬を渉らうとされた命を、川向ひの老婆が認めて、そこ危しと声をかけたにも拘らず、お向きかはりされる間もなく御流れになつた、といふ最期の一シーンまでが、同時に確認されなければならなくなる。
 従来巨石文化の遺跡として知ら
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