始め、数氏と共にその招宴に列した。
食後一かごの枇杷が座右に置かれる。この辺は伊予の名物|唐川《からかわ》枇杷の本場である。唐川枇杷も、長崎種子を根接ぎしで、播種改良に没頭してゐるので、土地の特有の影は地を掃らつて去らうとしてゐる。この枇杷は豊満な肉づきを思はしめる改良種のそれとは全く別趣だ。小粒で青みを帯びてゐる。産毛の手につくのすらが、古い幼な馴染に出会つた、懐旧の情をそゝる。ほのかに残つてゐる酸味は、今もぎたてのフレッシュを裏書きするのである。食ふに飽くことを知らぬ。南予枇杷行の感、殊にその第一日といふので深い。前途に尚黄累々たる、手取るに任せ足踏むに委する、甘潤満腹の地をさへ想見せしめる。
この枇杷は、寺内土着の古木の産であるといふ。創建者盛景の唯一の遺跡とも見るべき枇杷風景か。
大洲《おほず》の町には、昔から少名彦命に関する伝説口碑がいろいろあつた。町の背ろ柳瀬山続きに、その神陵と目さるゝ古墳さへがある。文政年間、菅田村の神主二宮和泉、その神陵確認を訴へ出て、当局の忌避に触れ、その志を継いだ矢野五郎兵衛なる者は、却つて獄に投ぜられた事実がある。
一体少名彦命といふ方
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