た。
「ところで若崎さん、御前細工というものは、こういう難儀なものなのに相違無いが、木彫その他の道において、御前細工に不首尾のあったことはかつて無い。徳川《とくがわ》時代、諸大名《しょだいみょう》の御前で細工事《さいくごと》ご覧に入れた際、一度でも何の某《なにがし》があやまちをしてご不興を蒙《こうむ》ったなどということは聞いたことが無い。君はどう思う。わかりますか。」
 これには若崎はまた驚《おどろ》かされた。
「一度もあやまちは無かった!」
「さればサ。功名《こうみょう》手柄《てがら》をあらわして賞美を得た話は折々あるが、失敗した談はかつて無い。」
 自分は今天覧の場合の失敗を恐れて骨を削《けず》り腸《はらわた》を絞《しぼ》る思をしているのである。それに何と昔からさような場合に一度のあやまちも無かったとは。
「ムーッ。」
と若崎は深い深い考に落ちた。心は光りの飛ぶごとくにあらゆる道理の中を駈巡《かけめぐ》ったが、何をとらえることも出来無かった。ただわずかに人の真心――誠《まこと》というものの一切に超越《ちょうえつ》して霊力《れいりょく》あるものということを思い得て、
「一心の誠という
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