たりするのだネ。
 彼はまた黙った。
 今日も鮒を一|尾《ぴき》ばかり持って帰ったら叱られやしないかネ。
 彼は黯然《あんぜん》とした顔になったが、やはり黙っていた。その黙っているところがかえって自分の胸の中《うち》に強い衝動を与えた。
 お父《とっ》さんはいるのかい。
 ウン、いるよ。
 何をしているのだい。
 毎日|亀有《かめあり》の方へ通って仕事している。
 土工かあるいはそれに類した事をしているものと想像された。
 お前のお母《っか》さんは亡くなったのだネ。
 ここに至ってわが手は彼の痛処《つうしょ》に触れたのである。なお黙ってはいたが、コックリと点頭《てんとう》して是認した彼の眼の中には露が潤《うる》んで、折から真赤に夕焼けした空の光りが華※[#二の字点、1−2−22]《はなばな》しく明るく落ちて、その薄汚い頬被《ほおかむ》りの手拭、その下から少し洩《も》れている額《ひたい》のぼうぼう生えの髪さき、垢《あか》じみた赭《あか》い顔、それらのすべてを無残に暴露した。
 お母《っか》さんは何時《いつ》亡くなったのだい。
 去年。
といった時には、その赭い頬に涙の玉が稲葉《いなば》を
前へ 次へ
全27ページ中23ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
幸田 露伴 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング