いるのみで、黄茅白蘆《こうぼうはくろ》の洲渚《しゅうしょ》、時に水禽《すいきん》の影を看《み》るに過ぎぬというようなことであった。釣《つり》も釣でおもしろいが、自分はその平野の中の緩い流れの附近の、平凡といえば平凡だが、何ら特異のことのない和易《わい》安閑たる景色を好もしく感じて、そうして自然に抱《いだ》かれて幾時間を過すのを、東京のがやがやした綺羅《きら》びやかな境界《きょうがい》に神経を消耗《しょうこう》させながら享受する歓楽などよりも遥《はるか》に嬉《うれ》しいことと思っていた。そしてまた実際において、そういう中川べりに遊行《ゆぎょう》したり寝転んだりして魚《うお》を釣ったり、魚の来ぬ時は拙《せつ》な歌の一句半句でも釣り得てから帰って、美しい甘《うま》い軽微の疲労から誘われる淡い清らな夢に入ることが、翌朝のすがすがしい眼覚めといきいきした力とになることを、自然|不言不語《ふげんふご》に悟らされていた。
丁度秋の彼岸《ひがん》の少し前頃のことだと覚えている。その時分毎日のように午後の二時半頃から家を出《い》でては、中川べりの西袋《にしぶくろ》というところへ遊びに出かけた。西袋も今
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