《おびただ》しい数の犠牲取扱人が居なければならぬが、イヤ、一切の人間が大抵相互に犠牲となり犠牲を取り犠牲取扱人となっているのが此の人間世界の実相なのである。人間同士、甘んじて犠牲となり合うのが愛であり、犠牲を強要しあうのが争闘であり、然様でない犠牲の自、他、中間の種々相は即ち娑婆《しゃば》世界の実相である。自分はもう幻影に過ぎなかった愛の世界を失って娑婆即ち忍苦の世界の者となったのみだ、其娑婆に在って又ふたたび幻影の世界を求めて、遅かれ速かれふたたび浅ましい物の香に接しようとも思わぬ、と取留めも無く、物を思うでもなく、思わぬでもなく、五月雨《さみだれ》のしとしとと降る頃を、何か分らぬ時を過した。もう然様いう境界《きょうがい》を透過した者から云わせれば、所謂《いわゆる》黒山鬼窟裏の活計を為て居たのであった。そこへ従僕が突として現われて、手に何か知らぬ薄い筐《かたみ》様のものを捧げて来た。
「何か」と問うと、老いた其男の答は極めて物しずかであった。「其のさま卑しからぬ女の、物ごしもまことに宜しくはあれどいたく貧苦愁苦にやつれて見えたるが、願はくは此鏡を然るべく購《あがな》ひ取りてたまはれか
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