都の大路の辻に立った。大路の事であるから、貴《たか》き人も行き、賤《ひく》き者も行き、職人も行き、物売りも行き、老人も行けば婦人も行き、小児も行けば壮夫も行く、亢々然《こうこうぜん》と行くものもあれば、踉蹌《ろうそう》として行くものもある。何も大路であるから不思議なことは無い。たまたま又非常に重げな嵩高《かさだか》の荷を負うて喘《あえ》ぎ喘ぎ大車の軛《くびき》につながれて涎《よだれ》を垂れ脚を踏張《ふんば》って行く牛もあった。これもまた牛馬が用いられた世の事で何の不思議もないことであった。牛は力の限りを尽して歩いている。しかも牛使いは力《つと》むること猶《なお》足らずとして、これを笞《むち》うっている。笞の音は起って消え、消えて復《また》起る。これも世の常、何の不思議も無いことである。しかし保胤は仏教の所謂《いわゆる》六道の辻にも似た此辻の景色を見て居る間に、揚々たる人、※[#「足へん+禹」、第3水準1−92−38]々《くく》たる人、営々|汲々《きゅうきゅう》、戚々《せきせき》たる人、鳴呼《ああ》鳴呼、世法は亦復|是《かく》の如きのみと思ったでもあったろう後に、老牛が死力を尽して猶|笞
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