のくせものであるから、何の事は無い恋愛弁理士同士の雄弁巧説、うるわしかりける次第なりと云った形で、斯様いうことのつづきの末が、高《こう》[#(ノ)]武蔵守《むさしのかみ》師直《もろなお》という厭《いや》なじじいが、卜部《うらべ》の兼好という生ぐさ坊主に艶書の注文をしたなどという談《はなし》を生ずるに至っているのである。小倉百人一首に載っている、赤染右衛門、やすらはで寝なましものを小夜《さよ》ふけて傾《かたぶ》くまでの月をみしかな、は実に好い歌であるが、あれも右衛門自身の情から出た歌では無くて、人に代って其時の情状を写実に詠んだものである。恐れ入った妙作で、綿々たる情緒、傾くまでの月を見しかな、と彼《あ》の様に「かな」の二字のピンと響く「かな」は今に至るまで百千万度も使われたかなの中にも滅多には無い。あのような歌をよこされては、男子たるもの蜘蛛《くも》の糸に絡められた蜻蜒《とんぼう》のようになって了って、それこそカナ縛りにされたことだったろう。これほどの赤染右衛門に出て来られて、有り余る才を向う側に用立てられて、しかも正しい道理のある方に立って物を云われては、定基たるものも敵《かな》う筈
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