る。公任卿は悦《よろこ》んだに相違無いが、匡衡の此手柄も右衛門の助言から出たのである。公任卿は中納言左衛門督は辞したが特に従二位に叙せられ、後には権大納言正二位にまでなられたこと人の知る通りである。右衛門の才は此話を考えると、中々隅へ置けるどころでは無い、男子であったらば随分栄達したであろう。これほどの女であるが、当時の風俗で、男女の間は自由主義が尚《とうと》ばれていたから、これも後の談《はなし》であるが、夫の匡衡には一時負かされた。匡衡は何様した因縁だったか、三輪の山のあたりの稲荷《いなり》の禰宜《ねぎ》の女に通うようになった。ここに三輪という地名を出したが、それは今昔物語なんどにも無く、自分の捏造《ねつぞう》でも無いが、地名も人名も何も無くては余り漠然としているから、赤染右衛門集に、三輪の山のあたりにや、と記してあるので用いたまでである。右衛門は如何に聡明《そうめい》怜悧《れいり》な女でも、矢張り女だから、忌々《いまいま》しくもあり、勘忍もしがたいから、定石どおり焼き立てたにちがい無い。匡衡よりも多分器量の上だったに疑い無い右衛門に責められては、相手が上手《うわて》だったから敵《か
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