高いものと認められて面目を施した。其文が今遺っているから面白い。読んで見ると其中に、「臣|幸《さいはひ》に累代上台の家より出でゝ、謬《あやま》って過分|顕赫《けんかく》の任に至る。才は拙《つたな》くして零落《れいらく》せり、槐葉《くわいえふ》前蹤《ぜんしよう》を期《き》し難く、病重うして栖遅《せいち》す、柳枝《りうし》左の臂《ひぢ》に生《お》ふ可《べ》し」とあるところなどは、実に謙遜《けんそん》の中《うち》に衿持《きょうじ》をあらわして、如何にもおもしろい。槐葉前蹤を期し難し、と云って、少し厭味《いやみ》を云って置いて、柳枝|左臂《さび》に生ずべしと、荘子を引張り出してオホンと澄ましたところなどは、成程気位の高い公任卿を破顔させたろうと思われる。それから加之《しかのみならず》と云って、皇太后の御上を云い、「猶子《いうし》の恩を蒙りて、兼ねて長秋《ちやうしう》の監たり、嘗薬《しやうやく》の事、相譲るに人無し」といい、「暫く彼《か》の仙院の塵を継《つ》いで、偏《ひと》へに此の后※[#「門<韋」、第4水準2−91−59]《こうゐ》の月に宿せん」と云ったあたり、此時代の文章として十分の出来であ
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