《かう》いうところに口を出して夫を扶《たす》けられる者は中々あるものでは無い。勿論右衛門は歌を善くしたばかりではない、法華経《ほけきょう》廿八品《にじゅうはちほん》を歌に詠じたり、維摩経《ゆいまきょう》十喩《じゅうゆ》を詠んだりしているところを見ると、学問もあった人には相違ないが、夫のおもて業《わざ》にしている文章の事などに、女の差出口などが何で出来るべきものであろう。然し流石《さすが》に才女で、世の中の鹹《から》いも酸いも味わい知っていた人であった。御道理でござりまする、まことに斉名以言の君の御文章の宜しからぬということは無いことと存じまする、ただし公任卿はゆゆしく心高き御方におわす、御先祖よりの貴かりし由を述べ立て、少しく沈滞の意をあらわして記したまわむには、恐らくは意にかないて善しとせられなむ、如何におぼす、と助言した。匡衡ここに於て成程と合点して、然様いう意味を含めて、辞表とは云え、やや威張ったような調子を交えて起草した。果してそれは公任卿の意にかなって、中納言左衛門|督《かみ》を罷《や》めんことを請うの状は公《おおやけ》に奉呈され、匡衡は少くとも公任卿には斉名以言よりも文威の
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